Rubenshuis, Antwerp (ルーベンスの家 - アントワープ) -3-
熊本界隈の余震も収まってきただろうか? 地域に日常が戻る日が近いことを祈る。
日本国内だといろいろなサポートが立ち上がっているのだろうけれど、海外から簡単にサポートできるプロジェクトを見つけたので、ここにメモしておくことに。
日本初のフードバンク、Second Harvest Japan(セカンドハーベスト・ジャパン)が、Kumamoto Earthquake Relief Fundraising(熊本地震救済募金)を実施し始めた。 <このページ>
まずは、被災地域への食料供給の安定が、最優先と思われるので、プロジェクト自体も、具体的かつ効果的かと。
グローバル募金サイトのAmmadoがプラットフォームなので、世界中からクレジットカードやPaypal(ペイパル)で支援が簡単にできる。
募金ウィジェットを貼っておくので、海外でご興味の方はぜひご協力を^^。
さて、本題のアントワープ、Rubenshuis(ルーベンスの家)から最終回。
今回は、スタジオ展示室のイメージから。
2階の展示室を見て回って、バルコニーになった階段部分から今度は、
グランドフロアから、スタジオ展示室へ。
ギャラリーの階下が、スタジオへのエントランス部分。
ここは、ルーベンスとその弟子たちが、制作していたスタジオ(工房)だった部屋。
セレブ画家だったルーベンスには、ヨーロッパ各地からの注文が殺到。
多数のアシスタントや弟子を使って、
当時のヨーロッパ最大規模のこのアトリエで制作された。
エントランス部分の壁面には、ギルト・レザーが使われている。
ここでインテリア絵画好きの目にとまったのは、
Interior of the Jesuit church in Antwerp.
by Wilhelm Schubert van Ehrenberg.
(アントワープ・ジュスイット教会の内部)
現在のSt Charles Borromeo's Church
(聖チャールズ・ボロメオズ教会 ←英語読み)の前身。
ここの39枚の天井画を、ルーベンスとヴァン・ダイクが
1616-18年にかけて、コラボで描いたのだそう。
現存したら、とても見ものなのだけれど、
残念ながら1718年の落雷による火災で消失してしまった。
そのディティール。
現在の聖チャールズ・ボロメオズ教会に、
この後気が付かないで、偶然入ってしまっていた。
なので、現在の様子はまた後ほど、標本箱に詰め込むことに。
ルーベンス「スタジオ」の制作システムの話が、ブックレットに載っていて、興味深かったのでここに引用してみよう。
8年間のイタリアでの活動を終えて、1609年にアントワープに戻ってスタジオを持ったルーベンスは、即オーストリア大公アルブレヒト7世と、その大公妃でスペイン王女のイサベルの宮廷画家に迎えられる。
1611年の段階ですでに、ルーベンス・スタジオに弟子入り志願者が、様々な方面からの紹介でひっきりなし。
結果、100人以上も断りを出さねばならなかった。他の画家のスタジオのポジションを得ても、それでもまだ、ルーベンスの弟子に空きが出るのを、狙い続けている者もいるそうで・・・、ルーベンスがその事情を書いて、出版業者からの弟子紹介に断りを入れる手紙が現存している。
スタジオの制作方式は、まずルーベンス師匠が、油彩スケッチの下描きを描く(これが、アムスの国立博物館に入っているような・・・、私の好きなタッチのもの)。
それを元に、実際の大型の画面に引き伸ばして、描き込んでいくのが弟子たちの仕事。ここでも、風景・花・衣装・動物と、それぞれの得意分野があって、分業制で仕上げていった。
そして、メインの人物像、特に顔や手など、肌の出た部分は、師匠が仕上げる。そして、ポイントとなる部分/要素にも、師匠が筆を入れて完成となる。
最も重要な注文には、最初から最後まで師匠が仕上げるケースもあった。(また逆に、師匠の手がほとんど/全く入らない「スタジオ」作品も多数あり。 20世紀中頃までは「なんでもルーベンス」になっていたけれど、近年の分析テクノロジーの進歩で、多数が「スタジオ作品」として分別されるようになったのだそう。)
このスタジオ方式は、イタリア・ルネッサンスの、ラファエロやミケランジェロのスタジオで行われていた方式と同様のものなのだそう。
ここのスタジオに展示されている大作は、とても撮影が難しいので(ライトのリフレクションが、どうしてもひどく出てしまう)、小品を2つほど。
Self-portrait by Anthony van Dyck c.1635-1641
1635-41年ごろに描かれた、ヴァン・ダイクの自画像。
個人蔵の作品が、今年からこのミュージアムに長期ローンで展示されている。
ヴァン・ダイクはルーベンスの筆頭アシスタント。
ルーベンス同様富裕層出身で、幼い時から画才を認められていたヴァン・ダイクは、
ルーベンス工房に所属する前から、画家組合に所属して独自にスタジオを開いていた。
1620年からアントワープとイギリスを行き来して、
イギリスのチャールズ1世宮廷画家としてのポジションを築く。
この肖像画とほぼ同じ構図で、同時あるいは同時期に描かれたと考えられているものが、
ロンドンのナショナル・ポートレートギャラリーに入っている。
<こんなもの>
口ひげの先を上に跳ね上げてセットするのが、
チャールズ1世宮廷でのトレンド(または、エチケット)だったそうで、
ここの「ひげピン」の肖像画が公式のもので、
ポートレートギャラリーの「ひげ下がり」は、
自分用の非公式のものだったとも考えられている。
Portrait of Archduchess Isabella, After Peter Paul Rubens
ルーベンスの、アントワープでのパトロンNo1、
大公妃イサベル・クララ・エウヘニア
もちろん自分的興味は、ジュエリー。
あ、このクロスのデザイン、使える・・・(笑)。
その他、ここのミュージアム展示のマスターピースは、<ここ>に(英文解説)。
この後は、庭に出て行ってみよう。
右がミュージアムへの入り口、
その左隣が、前回の最後に出てきたバルコニー。
ここはコートヤード(中庭)になっている部分。
左側のウイングが、今出てきたスタジオの建物。
想像だけれど、その上階には弟子や従業員が住む部屋があったのかも?
とてもバロック的なる、濃い彫りの装飾パネルの付いた階段。
その、スタジオの建物。
コートヤードの反対側のウィングは、前々回のルーベンスの生活空間。
夏だとウィステリア(藤?かな?)で建物が彩られていることと。
整形式の庭園との間に、装飾portico(ポーチコ)。
庭園側の眺め。
庭園側から、正面にスタジオの建物を見たところ。
あぁ、いつも思うけど、出張ついでのお屋敷見物は、いつもいつも、冬か早春。
コンチネントの「美しい庭」を見る機会に恵まれないわぁ・・・。
庭の奥にはローマ神殿風のガゼボ。
ライオンの皮をまとったタフガイはヘラクレス。
手前の右側はバッカス。
左はヴィーナスだったはず。
最後にもう一度コートヤードごしのエントランス。
Rubenshuis(ルーベンスの家)
Wapper 9-11, 2000 Antwerpen, Belgium
英文オープニング情報・入場料<このページ>
Map:
*************************
by KotomiCreations
Labels: 場所
<< Home