Amsterdam Street (アムステルダムの街)- 2016
Pおじさんのオンライン秘書業務、自分ちの新作ジュエリーの立ち上げ、でもって、最近始めたInstagram(インスタグラム)でも、マメにその両方の広報活動して、そうしたら自分ち、KotomiCreationsのウェブサイトを、もうかれこれ3年近く更新しないでほかっていたことに気がついて、テコ入れを始めた。
ここ2-3年モバイル・ディヴァイスが、世界的にコンピューターを凌ぐ普及率になったためか、ウェブデザインもどんどんややこしいことになってきていて、もう自力では手に負えない・・・かも。
ちいこいiphoneと27インチ・モニター・スクリーンの両方で見て、美的なデザインってありえるんだろうか??? 専門じゃなので暗中模索中。
結局、相変わらずの妥協案で、ウチの更新したウェブサイトは、基本的に従来の、PC用のソリッド・フォーマットに乗っかってます(つまり、モバイル・ディバイス対応の、リキッド・フォーマットじゃあないってことで・・・何語の話?って思うですかね、これ・・・笑)。
リキッドは、もう少しリサーチ研究してから、2020年までの課題かなー(あーぁ、その頃には、現役引退してるかもよ?・・・笑)。
そんなことに忙殺されていたら・・・、Pおじさん関連以外の、アムステルダムの写真が仕上がっていない。それではブログ更新ままならんので、出だしのアムステルダムの街の写真を、とにかく仕上げて、その出来立てほやほやを、標本箱に詰め込むことに。
駅を出ると、相変わらず東側のNieuwmarkt(New Market =ニューマーケット)
界隈のいわゆる猥雑エリアに向かって歩くのが癖になっている。
(その昔のロンドン・スタンダードからいくと、昼間は大して猥雑なこともない。)
この界隈「レッドライト地区」でもあるんだけれど、「中華街」でもある。
ここでまず目当てのタイ飯屋でランチして・・・、と思っていたら予定が狂った。
というのも、西暴風に乗っかったエアラインが、30分以上速く着いてしまったから。
20分ぐらいぶらついたらランチタイムのオープンにちょうどいい、
はずが・・・、1時間さまようことになって、予定変更。
ミュージアムに入ってから、そこのカフェでランチにすることに。
駅前のSaint Nicholas Church(聖ニコラス・バジリカ)の裏側。
その隣の建物の鎧戸が、フォトジェニック。
この一角で見かけた、プラークというか、ハウス・サインというか「屋号」っていうのかな?
その昔、住所に番地システムが無い頃に、家を識別するためのマーク。
ここのは「豹印」。
この後、アムステルダム博物館の外壁に、たくさん付いているものを載せてみる。
その近くで、中華屋のベンチの、雨水を舐めていた黒猫君。
昔一緒に住んでいた猫、Neu(ノイ)によく似ている。
(いつでもコピー機の上にいたので、通称「コピー部長」。)
Nieuwmarkt(ニューマーケット)に建つWaag(計量所)の裏ドア。
上階にあった、画家組合の聖ルカ・ギルドへの入り口。
Staalstraatのはね橋を渡って・・・、
Halvemaansburgの橋の上から見た、Munttoren(ムント塔)。
先端のズームは、ミュージアムの後で、中に2時間ぐらいいたわけだ。
この時のミュージアムは、Tassenmuseum Hendrikje(バッグとパース博物館)。
ここも、写真のプロセスが済み次第ご紹介することに。
途中で見かけた、ドラゴンいぢめのマイケル君。
「うりゃ、うりゃあ・・・。」
ナイスな風車のサイン、と思って撮ったのは、パブ・Amstel Fifty Four。
アムスでも有名な、ゲイのお兄さん方の殿堂だそうな。
別のミュージアムとお店に向かう途中に寄ってみた、Begijnhof(ベゲインホフ)。
13-16世紀に北ヨーロッパのローランド
(ベルギー、オランダ等、低い土地のエリア)中心に活動していた、
準修道院的な宗教組織Beguines(ベーグインズ←英語読み)が、
集まって住んでた一角。
教会を取り囲んで、今も歴史的建造物が残されている。
アンドロイドのパノラマ写真。
フォーカスがイマイチだけれど拡大イメージは<ここ>。
元々はシルク産業に従事していた人々が多かったそうなので、
最上階の黒い扉は、多分倉庫だったのだろう。
それにしても、アムステルダムの町家は背が高い・・・。
今でも現役の教会と、その向かいにある(左側)チャペル。
装飾的なゲイブルのトップ部分。
この一角はアムステルダム博物館のすぐ近く。
博物館は2年ぐらい前に見ているので、今回は素通り。
博物館敷地の中を通り抜けられるようになっている。
中庭がミュージアム・カフェ・エリア。
ここを抜けると、Sint Luciënsteegというパッセージに出る。
そこのレンガ壁(博物館の外壁)に、先に出てきたような、
プラークが数々はめ込まれている。
「Anno」というのは西暦(Anno Domini)のことで、
その建物が西暦何年に建造かが、表記されている。
安野光雅氏が、「ヨーロッパの建物には、自分の名前が頻繁に記されている」
と書いていたのを、どこかで読んだことを思い出した(笑)。
建造者の紋章だったり、姓からの連想だったり、
商売の表記だったりする場合が多い。
右はジュエリー・メーカー?
左は「釜茹で」・・・してるんではなくて、鐘をつくっているんだよね(笑)。
最後は「カワウソ屋」。
オター氏の建てた家だったのか、バプ・オターだったのかな?
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by KotomiCreations
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