Annex(アネックス)滞在 2014
ル・シャトーの話に引き続いて、私達の滞在していたAnnex(アネックス=別館)でのホリデーの日々のイメージ。
アネックス滞在の2011年は<このページ>、2012年は<このページ>、2013年は<このページ>に。
例年私達の家となるアネックス。
滞在中の主役はやはりこの方でしょう・・・実質城主プシャー。
どんどん厚かましいおっさんぶりを発揮して、
アネックス入り浸り、おやつ請求し放題。
ちゃんと本館でご飯をもらっているので、
食べ過ぎてはいかんというので、朝ご飯を催促しにきたら、
本館の食事場所に誘導・・・という作業を連日。
本当に今年は良く面倒をみさせていただきましたよ。
いやしかし、この顔には抗えない・・・。
この、ドアの隙間から差し出されたポーが、城主訪問のサイン。
プシャーを送って行ってから、朝ごはんの準備。
食べられそうでいて・・・まだ熟していなかったリンゴ。
アネックスの前の野草。
裏の農家の乳牛達。
今年は車なしの私達、
村までは敷地の入口から、徒歩で約20分。
因みに、アネックスからル・シャトーの敷地を抜けて、
村に唯一のよろずやさんが3年前に引退閉店した後、
実質、店がひとつもない状態だったところ、
近頃、その元よろずやさんの店が、カフェ・バーとして再オープンしたという話。
パンも売っているし、コーヒーも結構いける、という。
これは、偵察してみるしかあるまい。
Photo by : Noriko Stardast
と、いうわけで、村道をてれてれ歩く、おっさん風情の私。
撮影は、後ろから歩いてくるDanaさん。
途中のサリ・ラ・ヴァレリ村のサインに掲げられたユニオン・ジャック。
え?UKから「有名」フォトグラファーが来村するって、どうして解ったんだろう?
というのが、鉄板自意識、私の第一印象。
ちかくば寄って初めて、1944年8月17日の日付に気がつく。
そう、ノルマンディー上陸作戦後、8月17日に英軍がこの村まで進軍し、
村を独軍から開放した・・・つまり、今年のノルマンディー上陸作戦、
いやはや、この地では歴史は、まだまだリアルにいきづいているのだった。
件のバー「赤ひげ」の前で、たむろしていた若い衆の一人に、
「わー、写真撮ってー、写真撮ってー!!」と歓迎される。
だから、「有名」フォトグラファーが来村するって、どうして解ったんだろう?
(もういいって・・・。)
彼は実はオランダ人(なので、この田舎で英語が話せる)で、木工工芸家兼大工。
Pおじさんの仕事に興味があるそうなので、
この後車に乗せてもらってル・シャトーに帰り、Pおじさんに紹介することに・・・。
コーヒーを飲まない私は、オレンジジュースにクロワッサン。
店を撮るのはすっかり忘れて、上の大工のジョンと喋っていた。
話は変わって、アネックス裏の麦畑は刈入れの真っ最中。
朝は露が降りるので、刈入れはできず、麦の乾く午後からの作業開始で、
例年、ライトで照らして深夜まで作業が続く。
寝る時間(12-1時)でも作業の騒音が続くので、耳栓持参。
静かな田舎なのに、ちょっと興ざめ・・・と思っていた。
今年は私達の滞在の直前までずっと雨がちで、
農家は刈入れ時をすでに逃し気味。
この日の夜からまた天気予報では雨、その後連日雨の予報。
なので、この午後が勝負。
ガンガン働いていたのが、急に静かになったので、終わったかと思いきや・・・、
なにか詰まって故障したらしく、全員寄ってたかって修理中。
がんばれ、お百姓さん達、と、アネックス前から、あまり助けにならない声援を送る。
声援のかいあって(?)か、刈入れ機復興。
夜からの雨の前に、見事にまわりの麦畑はすべて刈入れられて・・・、
ころんころんの干し草ロールだけが残っているのだった。
今年は、12日間もみっちり田舎暮らしを満喫した後の、最後の夕暮れ。
その後、突然アクシデントの、停電。何の事はない、本館も停電。
つかの間復旧して、また停電。
唯一の近所、裏の農家でも停電かどうか、おじさんが尋ねに行ったら、
夜9時過ぎだったので、すでに寝静まっていた・・・という・・・。
翌朝も停電は続く中、とにかく早朝の列車に乗り込むべく
Flers(フレア)の駅まで見送ってもらう。
あとでPおじさんに聞いたら、原因不明で・・・でも無事復旧している、そう。
なんだかよくわからない田舎の事情ではある(笑)。
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