De Oude Kerk(旧教会)-アムステルダム
アムステルダムより今回は、De Oude Kerk(旧教会)のイメージを。
旧教会と無理無理日本語にしたけれど、「古い教会」というのが直訳。
その名の通り、アムステルダムで最も古い建造物で、またもっとも古い教区教会でもあり、1213年から建造が始まって、1306年に聖別されている(つまり、宗教儀式用として正式に使用が始まった、ということだけれど)。 ちょうど800年ここに建っていることになる。
1578年の宗教改革以降は、カルビン派協会として使用されている。
基本的に新教(カルビン派を含むプロテスタント派)の教会は、豪華絢爛・ゴージャス自慢のカソリック教会のあり方に反発して出来上がってきたものなので、装飾を排除したシンプル・ミニマリステック自慢。
装飾=美=神聖(?笑)という概念の私からすると、いまいち面白いとは思えないのだけれど、ここの教会には中世期の天井画が一部残っていたりして、中世木造教会の名残を残しているところが、興味深い。
まず入り口を入ったところ。
写真左上に、15世紀の天井画が見える。
この話は、後に回して、先に全体のフィーチャーを見て回ることに。
内部のパネリングは、英語ではFamily Pewと呼ばれる、一種の升席で、
特別に寄進をしている家族専用の「ボックス席」。
イギリスでも17-18世紀の教会で見受けられたもの。
オランダのインテリアでとりわけ目を引く、
真鍮製のシャンデリア。
ダッチ・スタイル・ブラス・シャンデリアと通称される。
1724年にハンバーグから導入されたVater Muller organ.
装飾はコテコテのバロック様式。
このパイプ・オルガンより時代は150年ぐらいさかのぼるけれど、バッハに影響を与えたとも称されている、オルガニスト・作曲家 Jan Pietersz Sweelinck(ヤン・ピーテルスゾーン・スヴェーリンク)は、若くから44年間にわたって、ここの教会の専属オルガニストだった。
1578年にアムステルダムや旧教会が、プロテスタントに改宗されて以降、サーヴィスにオルガン演奏が伴われなくなってからも、教会の新オーナーである市民の要望で教会に留まり、平日は6時、日曜はサーヴィスの前後にオルガン・コンサートが毎日催されていたのだそう。
スヴェーリンク自体は後年プロテスタントに改宗したとされているが、当初はカトリックのままで、サーヴィスにオルガンを使わないプロテスタント教会に雇われている・・・というのがなんとも、オランダ人の「融通ききまくり」感を反映していて、ほほえましいんだな(笑)。
15世紀建造のサイド・チャペルのひとつ。
プロテスタントになってからは、チャペルは使用されないので、
がらんとしたままの状態。
木製の螺旋階段が美しい空間。
このドアの比較的近くにレンブラントの妻、
サスキアの墓があるそうなんだけれど、
そのときはまったく知らなくて、後でガイドを見て知ったこと・・・。
その隣のもともとはLady chapelに1555年に設営されたステンドグラス。
1566年に反カソリック教会の暴徒に、教会が略奪破壊された時にも、
これと対のステンドグラスは生き延びて、
プロテスタント化後も、聖人の後光を取るように修正されただけで、
現在までほぼそのままの形で残されている。
ステンドグラスの前にミニチュア船の奉納物がぶら下がっている。
長年ハーバー(港)教会として機能していたそうで、
船に関連した奉納物がいろいろ。
これは17世紀初頭のAeolus(アエオラス)号で、
その下の墓に眠るJacob van Heemskerk(ヤコブ·ファン·ヘームスケルク)の船。
そのステンドグラスのあたりから、内陣を見たところ。
オランダでもイギリスと同様、教会の床下は(19世紀までは)墓として使われていたそう。
臭ったり、不衛生では・・・と思うのだけれど、教会の床下に葬る場合は、生石灰(quicklime)を大量に混ぜて葬ったそうで、死体は生物学的に腐敗分解するのではなくて、化学的に分解されるので、「比較的」衛生的で臭いも少なかった・・・とどこかで読んだ記憶がある。
それでも、教会でお香を焚きまくる(った)のは、臭い消しともいう話。
「墓の上を歩くのは失礼なんじゃないか」などという、現代的感覚の(教会床の下に人を葬らなかった)アメリカ人の質問に対して、「とりわけ通路の下に埋葬されて、他人に踏まれていくということは、(聖書にある)”You are dust and dust you shall became”-汝、塵より来たり、そして塵に戻る者-を具現化しているもので、失礼という概念にはあたらない。」と、英人教会関係者が返答しているのを、聞いたことがある。
墓石の上を踏まないで歩こうとしたら、床石はすべて墓石である場合も多いので(ここもそう)、そういう人は物理的に、中には入れないということになる(笑)。
実際には、現在は、たいていどこでも教会内の墓は改葬されているので(ここもそう)、下にお骨があるわけではないので、安心して歩けるそうだけれど。
くだらない余談が多くて、なかなか先に進まない・・・。
内陣(クワイヤ)の入り口を仕切るグリル。
内陣はオーク材のパネルで仕切られている。
宗教改革後の破壊行為で荒廃して、
浮浪者、物売りのたむろするゴシップ会場となってしまっていた教会を
粛清するために、17世紀後半に導入されたものでなのだそう。
内陣の跳ね上げ式ベンチの下に彫られている、Misericord(ミゼリコード)。
猫とコウモリ。
教会とは思えない、悪ふざけしたモチーフもよく見かけるのだけれど、
礼拝の間は、ベンチを下ろして隠されているので、
ヨシとされていたのだろうか?(笑)。
内陣から見える柱に、15世紀(頃?)の装飾が残っている。
というか、宗教改革後白く塗りつぶされていたのが、
20世紀になって、修復されたもの、と思われる。
モリス柄のルーツを見るような・・・(笑)。
紋章やら、
墓標にも、船関連がいろいろ。
やっとたどりついた、天井画は、
天井パネルの端の部分の装飾。
宗教改革以降は天井はすべてグレイに塗りつぶされていたのが、
1945年以降に少しずつ復旧されていって、
現在は天井はすべて木地の状態に戻されている。
それでも、すべての天井画が復旧できたのではなくて、
入り口を入って左の、旧チャペルエリアに集中的に残されている。
Crispin and Crispianus(クリスピヌスとクリスピニアヌス)
ローマの双子の靴屋の聖人。
この服装から、1470年代のものと想定されている。
ちょうどこのころ革物組合が、鍛冶組合から独立したので、
その組合用祭壇の上に描かれていたものと考えられている。
あんまり余談なので、エンベッドはしないけど、聖クリスピンといえば、シェイクスピア-ヘンリー5世の「今日は聖クリスピンの日だ。----」というのを、即、英人は思い起こす。(Youtubeのケネス・ブラナーの名演はこちら)
「この戦いを生き延びた者は、聖クリスピンの名を耳にするたびに、自慢げに思い起こすことだろう・・・」云々という名演説で、農民長弓隊主体の劣勢イングランド軍を奮起させて、総数5倍(シェイクスピアによると・・・、実際には3倍)のフランス軍重装騎兵を撃退した、1415年のアジンコートの戦いは、いまだに英人の「戦いに負けたことない愛国心」に火をともすのだった。
なので「ヘンリー5世」はシェイクスピアの中でも、とりわけ祝祭的要素の強い演目、ということに、イギリスではなっている。
それにしても、「古語」シェイクスピアをこんなにリアルに演じられるのも、ケネス・ブラナーならでは・・・・。
ああ、激余談(笑)。
ピエタなんだけれど、
船に乗っている・・・というのが、アムステルダムならでは。
聖マーティンの聖別。
この下にはアムステルダムの有力商人組合の、
聖マーティン組合の祭壇があったと考えられている。
天井のビームを繋ぐ装飾の、赤ジーザス先生。
サウナに入りすぎ・・・の感あり。
同じくローズ部分に当たる装飾パネルの中の、
香油壺を持つ、マグダちゃんこと、聖マリヤ・マグダレナ。
脇にあるCollege Roomに、に展示されていた、
17世紀絵画の中の旧教会。
最後に、外観を。
De Oude Kerk(旧教会)
Oudekerksplein 23,
1012 GX Amsterdam
the Netherlands
公開:月~土 10:00- 18:00、日13:00- 17:00
大人:7.5ユーロ、学生・65歳以上:5ユーロ
Iamsterdam City Card、Museumkaart等で無料。
13歳以下:無料。
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