ノルマンディーの町や村 -Domfront-
今回は、8月の終わりに車で駆け抜けた、ノルマンディーの町や村のイメージ。
ノルマンディーというと、海岸線がまずイメージに浮かぶのだけれど、Danaさんと私が滞在したLe Châteauは、Flersという町の近く、海岸線からは20-30km内陸部。牧草地帯と飼料畑が延々と続く。
気候・天候は南イングランドとよく似ている(ほとんど同じ)のだけれど、ここで、おかしな話・・・。
ノルマンディーはフランスの中では、鉛色の陰鬱な空のイメージで知られているらしい。一方南イングランドは、イングランドの中では温和で日差しの暖かい、果樹園の続く豊かな田園・・・というイメージがある。
この両者が実はほとんど同じ気候だとしたら・・・、いかにフランスが明るく暖かく、いかにイギリスが陰鬱な気候か・・・ということをよく表している・・と思うのだが(笑)。
せっかく車で来たのだし、近くをいろいろドライブして回ろうというプランで「どこがいいかな?」と、ペーターおじさんと晩ごはんを食べながら話していた。
「Domfrontって、きれいな町だってガイドブックで読んだけど?」と言ったら、「なーんでまた、イギリス人はDomfront,Domfrontって、あそこばっかり行きたがるのかな?」と、ペーターおじさんに笑われた。
どうやらその町はイギリス人がやたら行きたがる場所らしい。
ここの丘の上に城の廃墟があって、12世紀にまだイギリスと、征服してきたノルマン(プランタジネット)王朝の本国ノルマンディーが、同じ国であったときに、ヘンリー2世やその王妃エレノア・ド・アキテーヌが、このドンフロント城を何度も訪れていた・・・という歴史が、イギリス人をドンフロント詣でに向かわせるのではないか・・・というのは私の想像。
古い町並み・・・という話なので、おじさんに笑われながら行ってみることにした。
そのドンフロント城。これは、様式も何もわかったもんではないぐらい廃墟。
敷地内の、管理事務所の建物が可愛らしい。
町役場の前の噴水。
の、横には自転車のディスプレイ。
この一帯の町ではどこでも自転車を使って、花を盛り込んだディスプレイを見かける。
自転車レースが各地で催されているのにちなんで、とのこと。
ということは・・・この高い丘の上の町まで、自転車レースは登ってきたのだろうか・・・。
ハイストリートの町並み。月曜が全店休日だとは知らなかったよ・・・。
ブロカンテ・マーケットのあった村からも近いドンフロントに、「マーケットの後に行けばいいよ。」と、おじさんが言っていたのだが、結局私たちは村のCafeでまったりしていて、その後お寿司制作準備に戻ったので、日曜日にはドンフロントに行けずじまい。
どうせ、日曜に行ったって店が開いていないし・・・とも思っていて、わざわざ月曜に行ったら・・・この町では全店日曜に開けていて、月曜が休暇なのだとか・・・Dahhhh.
町の真ん中にアールデコというかセセッション(ウィーン分離派)様式というか・・・な、教会がある。
屋根は全体に安全ネットがかけられていて、あちこちが建設足場で支えられている。
内部も全体が足場で支えられていて、とても写真に撮れるものではなかった。
解説パネルによると、1930年代に建設された、この当時のとびきりトレンディなコンクリート建造の教会、近年になって、コンクリート構造の不良が現れ始めたそうだ。
小さな町のこととて、予算的にも・技術的にも、いまだに修復の目処が立っていないとか。
そういえば、昔日本の高度経済成長期の、60年代から70年代初頭に大量に建てられたコンクリートビルの中に、安価で入手しやすい海砂が使われたものがあった。当然塩分が含まれているわけで、これが長年の間に、構造の鉄骨を腐食させる。
そして、危険な使い物にならないビルとなってしまう・・・という話を聞いたことがある。
ここの教会が建てられた1930年代にはまだ、コンクリート建造への知識・経験が充分でなかったのか、どうかは知らないのだが、美しい建築なだけに残念なこと・・・。
これからまだ行くところがある。"La Saucerie" Manor (ソース親方の屋敷)と呼ばれるところ。
ドンフロントはただの通りすがりなんだよ・・・と、やや悔し紛れ・・・。
インフォメーション・センターが開いていたので、中で詳しい行きかたを確認。
さすが、イギリス人御用達の町、スタッフのお兄さんは英語完璧。フランスで英語を聞くとほっとするのは私だけか・・・?(笑)
そのまた途中、ドンフロントの丘の麓に、
ロマネスク(ノルマン)様式の教会が見えていたので途中下車。
Notre Dame sur l'eau (水のたもとのノートルダム)と呼ばれる教会。
確かに小川のほとりに建っている。
ロマネスク?と見たのだが、これが大当たり。
1020年頃にGuillaume de Belleme(ギヨーム・ド・ベルム)の建てた教会なのだそう。
ロマネスクらしいシンプルな教会ながら、きれいに修復されている。
当時の壁画がいまだに保存されている。
この聖母子像も当時のもののよう。
シンプルな構造が現代的ですらある。
この後、「ソース親方の屋敷」に向かって再びドライブ。
なぜまた、こんなところに向かっているかというと、私が「建築好き」なのを知って、ピーターおじさんが「ここを見てきなさい」と、強く推薦。
このあたりには、先ほどのドンフロントにしてもそうだが、11-12世紀のノルマンディー候(1066年以降はイギリス王を兼ねる)ゆかりの遺構・建造物がいろいろ残っている。
この「ソース親方」も、ウィリアム2世(フランス語だとギョーム2世)の奥方エレノア・ド・アキテーヌの宮廷で、ソースを作っていた親方(まあ、シェフ、ということなのだろうけど・・・)が、引退するときに与えられた土地に、建てた屋敷にその名称の端を発する・・・というのだが・・・。
「まあ、面白い建物だから見てきなさい。」とピーター師匠。
両側に掘割の痕跡の池が残っていて、この建物が本来はゲート・ハウスなのだろうということに気づく。
この石造りのゲートハウスが11-12世紀のものかどうかは、知らないのだが、上に乗っかっている木造枠レンガ建築はもっと後年のもの。
18世紀ごろにはルネッサンス様式の屋敷が裏手に建っていたそうだが、この本館は19世紀に焼失している。
案内の看板によると、18世紀当時はこんな風だったとか。
ちょっと、おとぎ話のお城のような、複雑な建物。
長い間廃墟のような状態で放置されていたらしいが、現在は修復が進行中。
新しく、木造タイルで屋根が葺かれたところ。
この木造タイルで屋根を葺く様式は、このノルマンディーでは珍しくて、
他の有名な例は、モンサン・ミッシェル内の建造物ぐらいだそう。
どちらかといえば、スカンジナヴィアからロシアにかけての様式。
確かに面白い建物で、こんな例は見たことがない。ここの北方系の建築様式に、ピーターおじさんが惹かれるのもよく解る。
オーナーが入って、修復が始まったことを知らなかったピーターおじさん「えっ!? 宝くじに当たったら、あそこを買って、修復するつもりだったのにっ!!」と、真顔の冗談。
満ち足りたおじさんにもまだそんな、夢というか野心というか・・・「もし、宝くじに当たったら・・・」みたいなものがあるとは、思いも寄らなかった私たちは、ちょっと噴出してしまった^^。
次回もまた、ノルマンディーのカントリーサイドより・・・。
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