トーナメント -Hampton Court Palace (ハンプトンコート・パレス)-1-
8月の最終週末はイギリスではバンクホリデーと呼ばれ、月曜日が祝日、つまり3連休となる。夏休み最後の週末、家族連れで「何か」楽しむことを、まるで強要されているかのような・・・。それをあてこんで、各観光名所は企画満載。夏中イベント続きのご近所、ハンプトンコートも、シーズン最後の大イベント「Great Tournament(大トーナメント)」を3日間開催。トーナメントと総称されているが、これは馬上槍試合(ジャウスト)のこと。詳しい話はWikiのこのページにお任せする。
重箱の隅ほじりな、いちゃもん。Wikiの「ジョスト」は何語から発音が取られたのか知らないが・・・少なくとも英語ではそんな感じの発音ではない。Joust「ジャウスト」が一番近いカタカナ表記。
Tourney「トゥルネィ」という仏語は英語の「トーナメント」とほぼ同義で、ジャウストの後に催された第二部の団体戦のことを本来は指している。
このハンプトンコートのイベントは、そのジャウストの方。ヘンリー8世と、2度目の王妃Anne Boleyn(アン・ブーリン)の兄George Boleyn(ジョージ・ブーリン)が馬上槍試合を行う、という設定。
チューダー期以前の中世のトーナメントは、荒っぽい「賞金稼ぎ」で、ジャウスト(馬上槍試合)も本格的にあいてを突き落とすことに意義がある。その後のトゥルネィ(団体戦)では、2つの軍に分かれて乱闘状態・・・。参加人数も多くて主催者の散財このうえもない上、大事な騎士は怪我するは、死ぬわで何度も法王や国王からの禁止令が出されている。
後のチューダー(大陸ではルネッサンス)期のトーナメントは、まずジャウストのみと考えていい。スポーツとしてのジャウストが形成されて、社交行事として少人数で催される様になった。槍は柔らかい木材の張りぼてで作られるようになり、どちらがたくさん相手の鎧のポイントの高い部分(胸、肩、頭、腕の順だったと思う・・・)に槍を当てて折るかを競う競技となっていった。スイカ割ではないが、ぱっこん、ぱっこん、槍を折ることに意義がある。下半身や馬を狙うのは反則で、安全のために馬の高さのフェンスで仕切られている。
背景の話はこれぐらいで、ヴィジュアルに入ろう。
朝ちょうどハンプトンコート・パレスについたときに、ちょうどヘンリー8世一行が猪狩りから帰ってきたところに遭遇。(ちなみに、猪狩りのシーンはさすがにない。そういう設定になっているだけ・・・。)
いちばん左の馬上がヘンリー8世、その隣が王の側近で式部官のサフォーク公チャールズ・ブランドン、その右隣がジョージ・ブーリン、の役。
猪狩りと言ったからには・・・猪も登場。
その後ろから、宮廷ミュージシャンが続く。
この一行が、パレスの周辺を一回りして、ジャウストの会場である、東正面の庭までパレード。
ジャウスト会場の隣で、デモンストレーションするArmourer(武具師)
チューダー・ルネッサンス期の鎧はきっちりとフル・メタルでつくられる、完全な特注品。1ミリの狂いも許されない。もし、着る騎士が太ったら・・・調整は効かず、作り直しだそうだ。歳とともにどんどん太っていったヘンリー8世は、十いくつも鎧を作り変えたそうで、体のどの部位から何センチ太っていったのか、詳細にわかるとか・・・。
ジャウストに先立ち、ジョージ・ブーリンが鎧を着装していくプロセスのデモンストレーションがある。
それを待っていたら、ここのイベントで毎回「仕切っている」サフォーク公が何かと解説して、観客を退屈させない。以前のイベントの時は<このページ>知らなかったのだが・・・この彼が、ここハンプトンコート・パレスとロンドン塔のコスチューム・イベントを企画している会社の社長様。どうやら以前のイベントの、私のFlickr写真を見つけていてくれたらしく、お褒めの言葉を頂戴。その時に「実は私が社長」と教えてもらった(笑)。
ジョージ・ブーリン登場。なかなかのイケメン氏、まだ鎧を着装する前。
鎧の下に着るDoublet(ダブリット、リネンをキルティングした上着)を着ている。
肩から出ている紐はこれで鎧を留めつけるためのもの。
鎧着装のデモンストレーション。
まず前面の胸板から初めて、後ろを嵌め込み、腰板を付ける。本来は脚にも甲冑を嵌めていくのだが、今回はジャウストなので、下半身は無防備でも大丈夫。腕の部分なども、ダブリットの紐で吊り下げていく。
最初にCoif(コイフ)というキャップを被る。これはダブリット同様リネンで、キルティングされていたりもする。このコイフは中世から17世紀にいたるまで、老若男女貴賎を問わず普段着、作業着として被られていた。
中段右2つの写真で、首を支える部分を嵌め込んでいる。兜が重いので、この部分で兜の重量を下の、鎧の部分に分散して、首に負担が掛からないようにするため。これがないと、衝撃で首が「むち打ち症」になることがあるからだとか。当時のこのような鎧の最高級品はミラノ製。一般騎士には手は出ないが、ヘンリー8世の鎧は多くはこのミラノ製だった。
最後は妙にかわいらしいハート型のクレストを付けて出来上がり。
ヘンリー8世登場。
アン・ブーリン王妃も観覧席に到着。
左右に分かれて・・・。
Lance(槍)を受け取る。
いざ勝負!!
ジョージ・ブーリンの槍がヘンリー8世の的に一本!!
2回戦もジョージ・ブーリンに一本!!試合はどちらかが3本取るまで繰り返し行われる。
結局この日はヘンリー君一本も入れられず、残念ながら完敗。
潔く敗北宣言のヘンリー君。
この右のジョージ・ブーリン氏が見事な例なので、ここでついつい、余談をいれたくてたまらない・・・。
中世からルネサンス期にかけての馬の乗り方は、現代のものと少し違う。鐙をやや長く設定して、脚をまっすぐにピンとつっぱらかって乗っている。馬上で槍やら剣やらを振り回していた時代は、衝撃で突き落とされないためにこのような乗り方をしていたもののよう。ルネサンス絵画や彫像の脚が、みんなつっぱらかっているのが不思議だったのだが、どうやらそういう事情らしい・・・。
明日は同じイヴェントから、アン・ブーリン王妃とその取り巻きの、軟弱系(笑)の紳士たち。
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