Gustave Moreau (ギュスターヴ・モロー)美術館と絵画 -2-
パリの「ギュスターヴ・モロー美術館」より、モローの絵画の2回目。
Fleur Mystique (神秘の百合)ギュスターヴ・モロー美術館所蔵
同ディティール。私のお気に入りの一つ。
Argonautes (アルゴ号の帰還)ギュスターヴ・モロー美術館所蔵
これは4mx2mの大きい方の未完の作品。同タイトルで小さくてより完成されたヴァージョンもある。
同ディティール。
元絵がどれだか解らなくなってしまったディティール
特にこの2つのディティールでよく解るのだが・・・モローの描く男性はことごとく中世的。ちなみに、ほぼ同時代のイギリスのラファエ前派のバーン・ジョーンズの絵画も、性差のほとんどない表現。私自身に性差意識が完全に欠落しているためか、こういった絵画が見ていて心地よい。バーン・ジョーンズの場合は「人間」を美化・様式化した結果、性差が失われていった、と解釈できる。モローの場合、女性は「悪女」「聖女」「女神」といった「アクセスを拒絶する冷たい性」として描かれれ、男性は「たおやかで肉感的」。そのことから、彼が潜在的に同性愛者ではなかったか、という説もある。潜在的あるいは無意識の性的傾向を証明することなど、できはしないのだが・・・。
これまた・・・壮大なイメージの絵画。実際にはカタログによると、1.55mx1.55mの作品なのだが、記憶の中では3mx3mあるかのような印象を受けた。それというのも、無限に続くかと思われる細密描写のため・・・。
右の高い玉座に座るのが若きアレクサンダー大王で、左の征服されたインド王が慈悲を請うというシーン。これまた、本来のテーマは実はどうでもよくて、タペストリーのように連綿とパターンを描き続けることが目的だったのではないかと、うがった解釈をしてしまう。
この時代は東洋全般からの情報・事物が大量にヨーロッパにもたらされ、一大東洋ブームとなっていた。モローとて例外ではなく、オリエンタルに傾倒している。彼の場合、歴史的・学術的に裏づけされたものではなく、あくまでも「幻視」。この絵画でも彼の幻想の中でのインドが描かれている。たとえそれが「幻視」であっても、ここまで描きこまれると、実際に彼は「そこ」を見ていたとしか思えない。幻が真実に転換してしまう・・・。
これはオリジナルサイズの画像でぜひ見ていただきたい。<このページ>(巨大サイズなのでスクロールして見て下さい)
シュヴァルの理想宮を連想してしまう・・・。などと、今日は彼の潜在的奇人ぶりにばかりフォーカスしてしまったような・・・最後の絵画に愛らしい一枚。これはディティールで、これまた元絵がどれだったか解らなくなってしまった。
このような、アトリエに展示されている・・・。
それでは、明日は彼のデッサンを展覧予定。
Labels: アート/デザイン
<< Home