Southside House(サウスサイド・ハウス) -1-
今回また夏のロンドンに逆戻りで、7月に訪れたSouthside House(サウスサイド・ハウス)のイメージを。
ウチからさほど遠くないWimbledon(ウィンブルドン)、駅から北の丘の上のヴィレッジに上がっていって、Wimbledon Common(ウィンブルドン・コモン=コモンというのは、パークとはまた違うんだけれど、とにかく自然のままで残されているオープンスペースのこと)の南に面して建っている、レンガ壁に囲まれた17世紀に由来するお屋敷。
このエリアに、子供の頃住んでいた配偶者氏(今から、さかのぼること65年位、前世紀の50年代の話ですよ、つまり・・・)、古いレンガ壁の中に古いお屋敷があって、隠者紳士が、外界から隔絶して暮らしている、というのを聞いたことがあるのだそう。 前を通るたびに、その壁の奥の家を、ちょっと不気味な思いで眺めていたことを、今でも覚えているとか。
その「不気味屋敷」、実は興味深いインテリアで、その上、3月末~9月末の夏の期間、週に3日、1日3回のガイド・ツアーで公開されているという情報をキャッチしたので、さっそく申し込んで訪れてみることにした。
レンガ壁に囲まれたゲートに、現在は公開時などの情報が掲げられていて、
ここが歴史的建造物だとわかる。
Robert Pennington(ロバート・ペニントン)が1687年に建造した屋敷。
彼は、イギリス市民戦争でチャールズ1世が処刑された後、
クロムウェル独裁のコモンウェルスから逃れた、
チャールズ2世に伴って、オランダに亡命していた。
クロムウェルの死後、戴冠するチャールズ2世とともに帰国。
その後、息子をペストで亡くした後に、
当時ロンドンからは離れた村落だったこの地に、引退する形で移住した。
その折にオランダからの建築家に発注して、この屋敷を建造したのだそう。
上の写真のネオ・クラシカルのエントランスは、明らかに後年18世紀後半の改修で、
この写真でよく見える、ベイ・ウィンドウが、一方だけに付いている・・・、
と、いうのも、なんだか奇妙な構造。
壁に建物が付随していた痕跡なども見えるので、
色々と、後年の改築が行われていたもののよう。
Plenty(豊穣)とSpring(春)と呼ばれる対の彫像は、
ロバート・ペニントンの妻と娘をモデルにしたといわれる。
この正面玄関は、現在は使われていなくて、
公開時の出入りも、裏の庭側に面した玄関から。
これがその、裏の方の現在の玄関。
中から見たところ。
夏の真っ盛りで、キュレーターと思しき人が庭仕事にも精を出している。
この屋敷は現在でもロバート・ペニントンの子孫が、
一部に居住しながら、トラストとして一般公開されているということなので、
ここで案内してくれたガイドさんやら、
その次のグループを案内していたガイドさんやら、
実は家族か親戚なんじゃーないか・・・と、
皆さんのアットホームな感じから、想像するのだった。
現在の玄関から入ってすぐの、ホールにあたる部屋。
2枚の17世紀と思われる絵画が、この部屋をぐっと格調高くしている。
部屋の一角に置かれた、人形劇のおもちゃは、
最近屋根裏から見つかったものだとか。
ここの最後の当主Major Malcolm Munthe(マルコム・マンザー少佐)が、
子供の頃このシアターで遊んでいたのだそう。
この通称「Major(少佐)」が、ここでの話の中心人物で、イギリスのみならずスエーデン、イタリーで養育された経験・人脈から、第二次世界大戦中は、スパイ活動用の特殊部隊に配属されていた。
戦後は、政界に進出を試みるが果たせず、その後は、相続したこの屋敷や、イタリア、スウェーデン、イギリス・ヘレフォードシャーの屋敷を維持・補修に専念する。(戦時中の負傷や極限下状態によるトラウマから、隠遁癖があったとされている。)
この後に出てくる様々な、シアトリカルというか、大仰なというか・・・な、修復・改装を導入した、(某王族の一人に、「最後の真のイギリスの奇人」とも称される)彼のテイストの根源には、この、オモチャ・オペラがあるのではないか・・・というので、ここにフィーチャーされている。
そして、ウチの配偶者氏が、子供心にちょっと不気味に感じていた、謎の隠者紳士はつまりこの「少佐」だったと判明したのだった。
この部屋に描かれた、母方のPennington-Mellor(ペニントン・マラー)家の紋章。
素朴というか・・・ちょっと素人っぽい描き方だと思ったら、
ここの屋敷の修復を手伝っていた、
「少佐」の兄弟・Peter(ピーター)の描いたものなのだそう。
兄弟なのに、彼の話はほとんど出てこなくて、
ロンドン市内の屋根裏で、ボヘミアンな暮らしをしていた・・・、
ということだったので、彼もエキセントリックな、
ドロップ・アウト氏だったのかもしれない・・・?(これは想像。)
Photography by Jessica Mulley
私は見事に撮り忘れてたので、借り物写真だけど、
そのピーター氏の彫像が入口側のコートヤードにあった。
入口ホールの部屋から、次の部屋をつなぐ廊下には、
ポートレートがぎっしり。
私の聞き覚えが間違ってなかったら・・・、
全部がオリジナルではなく、幾つかの肖像画とマッチするように、
20世紀に制作されたものも含まれているのだとか。
その先の小部屋にある肖像画。
これにもまた裏話があって・・・、この方女性に見えるけれど、
実は18世紀のフランスのスパイ、Chevalier d'Eon(シュヴァリエ・デオン)。
の、手紙もコレクションに入っている。
確か「少佐」のコレクションで、同じ「スパイ」境遇から、
シュヴァリエ・デオンに興味を持っていた・・・という話だったと思う。
(ちょっと記憶があいまい・・・。)
デオン氏のカリカチュア。
80年代にトガってた、Andrew Logan(アンドリュー・ローガン)氏の、
ALTERNATIVE MISS WORLD(オルターナティヴ・ミス・ワールド)のコスチュームって、
<こんなの>
ちゃんと、18世紀の元ネタがあったんじゃーないかー(笑)。
あー、余談が多くて、なかなかインテリアにたどり着かない・・・。
次の部屋は、プライベートのダイニングルーム。
テーブルの上にかかるランプシェードは、現代のもので、
カップケーキ用の紙カップを、いくつもホッチキス留めしたもの。
誰かの作品?かなりインパクトがあった。
これはティーンエイジャーのときの仮装した少佐を、
ピーターが描いた・・・だったような、あれ?その逆だったかな?
かなり聞いた話の記憶が曖昧になってきている。
壁には壁紙ではなくて、「壁布」でタペストリーのように覆われている。
その次に案内されるのが、このオフィシャルなダイニングルーム。
ここの絵画もお見事に、壁面スペースにフィットしているけれど、
ここのは20世紀に描き足したものではなくて、17-18世紀のものだそう。
この部屋の入口の横の暖炉。
ここにもまた、裏話があって・・・、2010年にここで火災がおきて、その後の修復工事中に、この暖炉の床下に秘密の小部屋がみつかった。その小部屋の中には、トランクに詰められた弾薬やら、銃やら、マシンガンやら・・・が見つかった。警察が呼ばれて、周辺住民も避難させての、回収作業が行なわれた。 万一、下の小部屋に火が回っていたら、大爆発になるところ・・・だったそう。
これも少佐の、ちょっと「メンタル」な部分をほのめかすエピソードなのかもしれない。
そして、その暖炉と入口のドアの間に、
なにげに挟まっているのが・・・げっ、
Burne-Jones(バーン・ジョーンズ)!!
あー、びっくりした・・・。
そして、次回もまだお屋敷拝見は続きますよ。
Southside House(サウスサイド・ハウス)
3-4 Woodhayes Rd, Wimbledon, London SW19 4RJ
オープニング情報と予約 <英文でこのページ>
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