Thursday, 2 June 2011

Skanzen(シュコンゼン)屋外博物館 -3-

Skanzen(シュコンゼン)屋外博物館からの標本箱3回目は、ゾーンIII-Upper-Tisza(上ティサ)地域から移築された住宅群。
ティサ川で分断された、この地区はハンガリーの北東の端に位置していて、ウクライナ、スロヴァキア、ルーマニアと接している。樫の木の森や果樹林の多い地区で、牧畜・造林・漁業が盛んで、プロテスタント(新教)の人口が高いとか・・・というのは、英文ガイドブックからの拾い読み。
1974年に、このミュージアムの最初のエリアとしてオープンしたこともあり、このゾーンにある教会のベルフライ(鐘楼)が、このミュージアムのマークにもなっている。
Upper-Tisza region (aera III)
そのベルフライを遠望で。

Protestant Church from Mánd and Belfry from Nemesborzova
Nemesborzova(ネメジュボルゾヴァ)から移築されたベルフライ(鐘楼)で、元々は、17世紀中頃の建造。
左隣に見えるのが、Mánd(マンド)から移築された、プロテスタント教会。
通常プロテスタント教会といえば、あまり飾り気のない、ストイックなインテリアを連想するのだが・・・、

Protestant Church from Mánd
ハンガリーでは、装飾なしはすまされないものらしい・・・、この見事な彫刻はパルピット(説教壇)の天蓋部分。
どことなくチベットの密教寺院の装飾を、連想させるぐらい、エキゾティック。

Protestant Church from Mánd
18世紀後半に導入された、パルピットの全体像。
にわか雨に降られて、ここに逃げ込んだので、ちょっとレンズが濡れてしまった・・・。人魂じゃないよ(笑)。

Protestant Church from Mánd
カトリック教会なら聖水盤が入口にあるのだが、ここの場合聖水皿?

Protestant Church from Mánd
ペイントされた、パネルとドアも美しい。

House from Uszka
Uszka(ウスカ)から移築された住宅。庭の桜が満開。
この家はジェントリー(貴紳)階級の家。ジェントリー階級は、資産的にはあまり農民と変わりはなかったが、
政治的役割、法的立場などが農民とは違っていて、特有の文化的なライフスタイルを生み出していたのだそうだ。

House from Uszka
なんともいえずノスタルジックなエントランス。

House from Uszka
その室内。

House from Uszka
お茶をポットとカップ・アンド・ソーサーで飲むか、マグで飲むかが階級文化の境目(!?)
これは想像(笑)。

House from Uszka
ベッドの上のブラウスも、エレガントなもの。
家具も、工業生産された装飾的なもの。

House from Uszka
入口を入った所が、巨大なオーブン/暖炉で、デコラティヴな食器がディスプレイされている。

House from Botpalád
一方こちらはBotpalád(ボトパラド)から移築された農家。
土間に、ハンドメイドの素朴な家具。

House from Botpalád
それでも食器は装飾的。

Houses from Upper-Tisza region
この地区は19世紀の治水政策まで、定期的に洪水に見舞われていたのだとか。
水はけをよくする排水溝が掘られている。
洪水でも流されない、重い屋根を持つしっかりした木造の骨組みに、
しかし、壁はWattle-and-daub(編み枝にベースに泥土塗り)で洪水でダメージを受けても、
安価に容易に修復できるように考えられていた。
洪水の間は、家族も家畜も、板張りの屋根裏に避難したのだそうだ。

House from Kispalád
横の野菜畑の入口のかわいいゲート。鶏ぐらいしか防げないと思うが・・、ほんとに鶏防止なのかな。

House from Kispalád
Kispalád(キシュパラド)から移築された農家。
2部屋の片方には織機が入っている。

House from Kispalád
もう一つの部屋では、糸をつむいでいる。
穴の開いた椅子や柱に取り付けられた輪は、幼い子供の歩行練習用。
19世紀初頭には、この家では、2部屋に4世代10人が暮らしていたのだとか。

この野外博物館の情報は、Skanzen(シュコンゼン)屋外博物館初回の標本箱の最後を参照<このページ

Labels: