St Bartholomew the Great (セント・バーソロミュー・ザ・グレート教会)、London
今日はロンドン最古の現存する教会、St Bartholomew the Great (セント・バーソロミュー・ザ・グレート教会)の写真。
これは12世紀に建造された、今で言うところの「病院」のための修道院。ヘンリー1世の宮廷に仕えていたRahere(ラヘア)がローマ巡礼の折、病に陥った。テヴェレ河の中州にある修道院で手当てを受け、その折に健康が回復し無事帰国できた暁には、修道院を建造するという誓いを立てる。祈りが聞き届けられたものか、彼は無事回復し帰国の途に着く。
途中また、悪魔に襲われ、聖バーソロミューに救済されるという夢を見る。そのなかで聖バーソロミュー曰く「助けに来たのだが・・・お前の約束した修道院を、ひとつ、私に捧げてスミスフィールドに建ててくれないかな?」。
まぁ、取引条件を提示する聖人様もたいしたものだが、悪夢の中では切羽詰っているラヘアは、もちろん快諾。そんないきさつで、ロンドンに帰ってきた彼は、当時ロンドンの市壁の外側、いわばロンドン郊外のスミスフィールドにさっそく聖バーソロミュー修道院を建造し始める。
現在でもセント・バーソロミューは一大医療組織。この教会も病院コングロマリットの一角に、くっついて残っているような印象。
この教会は、近年その古色豊かなロケーションを活用するべく、商業的広報活動にも力を注いでいるようで、日本の海外挙式+ハネムーン・パッケージの会場にも提供されている。ちょっと笑える・・・。ともあれ、イメージを展覧しよう。
12世紀の建造部分は、ここに見える2階部分まで。3階部分に当たる明かり窓は13世紀に入ってからの増築。(その後何世紀にもわたって、増築は繰り返されているが・・・。)
この100年の違いは、アーチに現れる。丸いアーチはロマネスク様式(イギリス建築では、ノルマン人が持ち込んだため、ノルマン様式と呼ばれる。)。13世紀以降中世には、アーチの先が尖ってきて、ゴシック様式となっていく。
古色豊かな内装を生かすべく・・・なのかどうかは定かでないが、教会にありがちな天井から多数下がってくるシャンデリアが、側廊以外には見あたらない。スポットライトは導入されているようだが・・・?なので、教会の中は自然光と影のコントラストが実に美しい。
Snactuary(内陣)部分。
ちょうど光が効果的にドラマティックに射す・・・。
入り口のTransept(袖廊)部分から側廊部分を見たところ。
逆に側廊部分から入り口を見たところ。
壁にあるのは故人の記念碑、床石の下には故人が眠る。
側廊の床。教会の床下に墓を作るのは、イギリスでは通例なのだが、ベルギー、フランスでは見たことがない。
私が知らないだけだろうか?
燭台。
16世紀初頭のチューダー期に増築された、Bolton(ボルトン)修道院長のOriel(出窓)。
この出窓からこっそり、修道院たちの礼拝活動を観察(監視?)するためにつくられたのかな?
中央の紋章は駄洒落系。Bolt=ボルト(いしゆみの矢)がTun=トン(樽の一種)を貫いていて・・・ボルトン・・・はぁ、なるほど。
北側の側廊。
創設者ラヘア修道院長の墓。これは15世紀に再建造されたもの。
天使を撮っていて、ラヒア自体のエフェジー(墓碑彫刻)を撮ってないな・・・。
南袖廊の、Elizabeth Freshwater(エリザベス・フレッシュウォーター)の記念碑。1617年。
Sir Robert Chamberlayne (サー・ロバート・チェンバレン)の記念碑。1615年。
南袖廊の中世の猫の彫り物。一種の魔よけとして彫られたものとか。ガーゴイルのようなもの。
現存するCloister(回廊)の東部分は、カフェになっている。とてもゆったりしたところ。
上の回廊カフェの外側の庭から見たところ。
外から見た回廊カフェの窓。ゴシック様式の見本のような・・・。
撮影:MisterPeter!@Flickr 正面入り口ゲート。
このゲートハウスの外観を載せたかったのだが、いつものごとく外観を撮らない人なので・・・これは借り物。
1535年に修道院解散令が出された後(これはもちろん「暴れん坊」王様ヘンリー8世のやったこと・・・)、修道院の大半は取り壊され、クアイア(聖歌隊席部)のみが地区教会として現在のサイズで生き残る。その昔、Nave(内陣)とクアイアを隔てていた石造アーチが一部残され、その上にチューダー式木造建築が増築され、今もゲートハウスとして使われている。
公開時間(入場料4ポンド、2010現在)の情報は<こちら>(英文)
場所情報は<こちら>(英文)。メインウェブサイトは<こちら>(英文)
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