Cardiff Castle(カーディフ城)-3-
Wales(ウェールズ)旅行から、ウィリアム・バージェス設計のCardiff Castle(カーディフ城)の最終回。
ディ・ナーサリー、子供達の昼の勉強部屋。
ビュート候夫妻には娘が1人、息子が3人いた。
午前中は、ここで家庭教師について勉強する。
午後はポニーに乗ったり、魚釣りをしたり、外で遊ぶ時間に充てられた。
ディ・ナーサリーの天井。
壁の上部のタイルには、おとぎ話のシーンが描かれている。
「眠り姫」「ロビンフッド」「アラビアン・ナイト」のシ-ンが見える。
いまではもうどのような話か解らなくなってしまったものもあるとか。
左の上は「見えない姫」と呼ばれる。2本の木の間に立って、髪に木の葉の冠を被り、
鷹を手にした横顔の姫が見える・・・・だろうか?この写真では解りにくいかな。
右の下は「ジャックと豆の木」のジャックが倒した巨人の首なのだが、
息子の1人はこの絵が怖くてこの部屋が嫌いだったとか。
確かに、あまり子供向けとは思えないな(笑)。
ディ・ナーサリーの暖炉上の彫刻。
ランプシェードにも童謡のシーンがシルエットで描かれている。
これは「猫とヴァイオリン」、これは文句なしに可愛い。
ビュート候の寝室。
ベッドがシングルなのは、家庭内別居というわけではない。
中世マニアのビュート候は、夫婦生活も中世のしきたりに従って・・・日本で言うところの「通い婚」。
奥方の寝室に「訪問」する。
この距離感が幸いしてか、夫婦円満、家庭的なビュート候だったそうだ。
ビュート候の寝室。暖炉と衣装キャビネット(左)。
衣装キャビネットは、教会の「告解室」
(カトリック教会の懺悔をするための小部屋・・・漢字が正しいか私には解らない!?)
を模しているが・・・中段のパネルに蛾の模様がが彫られている。
ウールを食べる蛾に掛けた、バージェスの「遊び」。
段路上にそそり立つのは、福音書記者ヨハネ。
ビュート候の名前John(ジョン)にちなんで。
ビュート候の寝室。窓と天井。
寝室付きのバスルーム。
ルーフ・ガーデン。ビュート候の寝室の上のテラス。
そのころ発掘されたイタリアのポンペイ遺跡の中庭から、想を得たデザイン。
床のモザイクの耐水加工が痛んでいるため、現在は上に透明のプラスチック屋根が付けられている。
当時はブロンズの噴水から水があふれ、
地中海から取り寄せたエキゾティクな植物が、プロンズの鉢にに植え込まれていた。
幼児キリストとマリア像。
敬虔なカトリックだったビュート候のライフスタイルを反映して、
このルーフガーデンのみならず、屋敷内のインテリアは宗教的モチーフも多い。
これだけ、贅を尽くして、熱意を注いで、建造されたカーディフ城だが、ビュート候にとっては各地にいくつも散らばる屋敷の一つにしかすぎない。ここに滞在するのは年に数週間だけだった。
ビュート候の子息、4代目ビュート候亡き後の1947年には、一族の経済的背景の石炭産業の衰退も絡んで、この城はカーディフ市に贈与されろこととなった。
そのおかげで・・・現在城はは市民のみならず、我々のような世界中からの訪問者の目を楽しませているというわけだ。
Labels: 場所
<< Home