Saturday, 21 August 2010

William Morris(ウィリアム・モリス)のRed House(レッドハウス)-1-

先週訪れたWillaim Morris(ウィリアム・モリス)の最初の家、Red House(レッドハウス)の写真をFlickrにアップしたので、今日はその展覧。

ウィリアム・モリスといえば、イギリス好きやデザイン系の方なら、ご存知かと思う。イギリス19世紀末のデザイナー、詩人、社会主義運動家、多分野にわたって活躍した人物。その多才ぶりは、デザインのジャンルに限っても、家具・インテリア・デザインに始まり、ステンドグラス、カリグラフィー、製本、刺繍もすれば、染色も、織物もこなす、テキスタイルや壁紙の見事なパターンは、現在でも商品化し続けられているほど。
一体一人の人間が、どのようにしてこれだけ多様な活動ができるのか?レオナルド・ダ・ヴィンチに次ぐマルチ人間ではないかと思うぐらい。

Red House(レッド・ハウス)はその彼が、Janeと結婚して初めて移り住んだ家。
ラファエル前派仲間であり、友人の建築家、Philip Webb(フィリップ・ウエッブ)によって設計された。しかし、モリス自身がイマジナティヴなクリエイターでもあり、設計に先立ちウェッブとともに北フランス・セーヌ川沿いの中世建築をリサーチしている。モリスとウェッブの「共同制作」と考えてもいいだろう。
この二人が出会ったのは建築家George Edmund Street(ジョージ・エドマンド・ストリート)の事務所。Oxfordでの神学の道から進路変更したモリスは、そこで建築家見習いを始めたのだが、ウェッブもまたこのストリートの元で働いていた。この、ストリート氏こそが王立裁判所を設計した、当時のゴシック・リヴァイヴァルの第一人者だったのだ。
モリスたちの目指したものも、ある意味ゴシック・リヴァイヴァル。すでに産業革命を迎えたイギリスの工場製大量生産というシステムを否定。中世以来そうであったような、職人の手仕事による物づくりにこそ「美意識」を見出そうとする。しかし彼ら以前の、ゴシック・リヴァイヴァルと大きく異なるのは、センチメンタルで過剰な装飾を廃し、シンプルに素材を生かす彼らのスタイル。
そして、中世の「理想」をデザインのみならず、職人が誇りとともに自立して制作にあたった(機械の奴隷に成り下がってはいない)社会構造にまで進展させていったということ。これがひいては、モリスを社会主義活動に駆り立てる原点となる。

また・・・話が長い。このへんで、切り上げる。

Red House
レッド・ハウス全景。
庭の尖塔状の屋根は井戸。このレッドハウスのフォーカル・ポイント。

Well and Arkansas
その井戸とアカンサスの花。
アカンサスの装飾的な葉は、モリスのテキスタイル・パターンの中でも有名なもの。
残念ながらこのアカンサスは、彼がモデルにしたものではなく、
現在所有・管理しているナショナルトラストが、モリスのパターンにちなんで植えたもの。

Red House
いろいろな角度から。
左下の青い丸プレートは「プラーク」とよばれ、歴史的著名人の住んだ住宅に与えられる。
ここにも記されているように、モリス達はここに5年しが住んでいない。
その話は、また後述。

Fate and Love stainedglasses
ステンドグラス「運命」と「愛」。Burne-Jonesデザイン。

Bird stained glass
ステンドグラスのパターン。
モリスほどの多才人にも苦手があった。それは「動物」。
植物を見事に描くにもかかわらず、動物・鳥には手を出さない。
上手くできたもので、本業は建築のはずのウェッブ、動物や鳥を描かせると、これがプロ級。
かくして、両者の長年の役割分担が出来上がる。
このイラスト風(本当は中世の素描を真似た)鳥達もウェッブの手になるもの。

Stained glass window
2階の廊下の窓。ここもステンドグラス。

Cabinet/ bench in Hall
ホールのセトル(ベンチ)。
ドアパネルはモリスの未完のペイント「ニーベルゲン」。

実はこの家がナショナル・トラストに寄贈される以前の、1994年に私はここを見に来たことがある。
当時は最後の個人オーナー、高齢の建築家Edward Hollamby(エドワード・ホランビー)氏の所有で、月に1-2回予約一般公開を受け付けていた。モリス好きの私は、ちょうど滞在している時期に訪問できるよう、イギリス在住の友人にアレンジを頼んだのだ。
その時はまだこのセトルは、モリスのペインティング以外すべてこげ茶色に塗られていた。戦時中、軍関連の機関に接収されていた時に、塗られたらしい。ホランビー氏も上塗りを剥がす修復を試みていたようだが、部分的なもの。今回ナショナル・トラストによって大幅に修復されたもののようで、味わいのあるティールカラーとなっていた。

Door in Hall
同じくホールのドア。
そうすると、上のセトルはこの横のドアとカラー・コーディネイトされていたということになる。

Cabinet in Dining Room
ダイニング・ルームのドレッサー。ウェッブ、デザイン。
上から下がる照明は、後年のもの。
モリスの時代は、まだここには電気は通じていなかった。

Embroidery by Jane Morris
妻Jane(ジェーン・モリス)の手による刺繍。


これほど丹精かけたレッド・ハウスに、しかし彼らは先にも書いたように5年しか住んではいない。
理由はいくつか挙げられている。モリスの経営するインテリア・ファニチャー・デザイン会社、モリス商会の運営で多忙なモリスにとって、郊外からの通勤が次第に負担になってきたこと。市街地をはるか離れた環境と、そのころに父親を亡くしたことも合間っての孤独感に、妻ジェーンが耐えられなくなってきたこと・・・など。
ただ、いかにボヘミアン学生気質のモリスとはいえ、彼らの結婚は当時としては「身分違い」。これも内向的な彼女にとっての心理的負担、また、仲間内の画家Rosseti(ロセッティ)との三角関係等もあって、彼女はそもそも「鬱」な傾向にあったのかも知れないが・・・。
「豊かさ」のみならず、「美」といえども、必ずしも「幸福」とは繋がらないということか・・・?

明日も引き続きレッド・ハウスの続編。

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