Temple Church (テンプル教会)
このブログを始めた頃に、Temple Churchの近くのRoyal Court of Justice (王立裁判所)の建物の写真を加工したものを載せたことがある。ゴシック・リヴァイヴァル建築 2010-07-07
今日は同じ時に撮った、テンプル教会自体のの写真を展覧してみよう。
テンプル教会は中世12世紀に、テンプル騎士団のイギリス本部として設立された教会。騎士団といえば、なにやら秘密結社的な神秘的な響きがするもの。ダン・ブラウンの娯楽小説「ダヴィンチ・コード」でも「いかにも」な扱いをされていたことと・・・(適当に読んでてあまり記憶にない・・・映画も見てない・・・笑)。
しかし、その実態は単に「戦う修道僧」というだけで、その他修道会と同様、集団組織の権力抗争・政治の道具として使用された一集団。「神秘性」としてしまうより、「戦士」の概念に、宗教的「道」を導入し「騎士道」を成立させた精神文化的側面を、私的には評価しているのだが・・・話題閑休、Visualに入ろう。
いつ誰が製作したか調べてみたが、検索では出てこない。戦後修復された時に製作された、つまり50年代頃のものか・・・と、これは想像。
一頭の馬に二人の騎士が相乗りしているのが、テンプル騎士団の紋章。初期のころ清貧を文字通り実行していた騎士達が、高価な馬を各自所有せず相乗りしていた(と、言われる)ことに由来する。同時に「修道僧」と「騎士」の両義性をも象徴するもの。
彼らの被る兜は「バケツ型」と呼ばれ、典型的な12世紀のスタイル。
これは、いまは使われていない北側のドア。
このゲートの石彫はかなり古そうに見える。
こんな感じ。現存する12世紀建造部分だと見ているのだが・・・。
教会内部。
床下には騎士達が眠る。
床の上にはEffigy(エフィジー、墓碑彫像)が並ぶ。
William Marshal, Second Earl of Pembroke (died 1231)
ペンブローク伯ウィリアム・マーシャル2世のエフィジー。
イギリスの教会では、このような中世のエフィジーをみかけることも多い。かなりの確立で、このように脚をクロスさせて、あまり安らかとは思えない体勢で描かれている。これはそこに眠る騎士が十字軍に従軍したことを示すもの。
歴史的大誤解、無理解から、勝手にエルサレムになだれ込んできたヨーロッパ人だが、思い込みとは真剣なもので・・・、神のために戦ってきたことが、神の許へ行くにあたっても最重要なこと。こうやって天にも地にも知らしめねばならない・・・。
ちなみに、ここでは見にくいが、足元に(あるいは足置きとして)ライオンがいれば、その騎士は戦死したことを示し、犬がいれば、病死した(あるいは戦場以外で死んだ)ことを示すもの。
これも、データを前後ばらばらにしてしまって、誰だかわからなかった。
FlickrにUpしたら、コンタクトの一人、騎士道マニア氏が「奥に眠るのは、初代William Marshal(ウィリアム・マーシャル)」と教えてくれた。ウィリアム・マーシャルといえば、例のリドリー・スコット監督の「ロビン・フッド」にも登場するが、中世騎士道の「華」とも「鏡」とも呼ばれている人物。まるでアクション時代劇映画風人生を送ったイギリス騎士。(上記リンクのWiKiには上手く日本語で要約されている。)
彼が晩年、テンプル騎士団に入団したことも、ここに眠ることもこの時初めて知った・・・。
壁面。戦後の修復部分。
Font(フォント、洗礼盤)のディーティール。
円形構造の教会の隣に連なるChancel(チャンセル)の窓からさす光。
この部分は、17世紀の建築家Christopher Wren(クリストファー・レン)の改装に基づいている。
(その後にもたびたび修復はされているが・・・。)
同じく17世紀のチャンセル内のエフィジー。
その装飾ディティール。
テンプル教会は、一般公開されているが、Openの時間帯が不定期。運の悪い人は「いつ行っても閉まっている」と思うらしい。
見てみたいと思われる方は、上記リンクのTemple Churchのウェブサイトの右コラム、VISITING TIMESで、開館時間を確認されることをお勧めする。
このテンプル教会一体は、14世紀にテンプル騎士団が消滅させられると、法律学校を運営していた聖ヨハネ騎士団の所領となる。現在でもここに法曹院がおかれていて、周辺はすべて弁護士事務所か法律研究機関。
独特の入り組んだ昔の建造物が、いまだに保存・使用されている地区。
明日はそのテンプル教会周辺の風景を展覧しよう。
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