Monday, 7 November 2016

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry (バイユー・タペストリーのレディング復刻版)

金曜の夜ににRye(ライ)の撮影から帰ってきて、「なるべく早く~」と頼まれていたので、土日でポストプロセスを仕上げて、ただいまWeTransfer転送中。
全く・・・「撮りすぎ注意」もいいとこで、最終仕上げが200枚弱で、あー、もう完全に撮りすぎ。 それでもまぁ、喜んでもらえるといいのだけど。

標本箱はReading(レディング)の話の続きで、今回はライヴの前に街をウロウロしていて立ち寄った、Reading Museum(レディング博物館)に収蔵展示されている、Bayeux Tapestry (バイユー・タペストリー)の19世紀復刻版の話。(通称「タペストリー」と呼ばれているけれど、実際には刺繍されたもの。)

本家の方、11世紀のバイユー・タペストリーも、5年前の夏にノルマンディー・ドライヴでバイユーに立ち寄った時に見に行ったことがある(その時の話は<このページ>に)。 
レディングの方は、その19世紀の復刻版。
レディング博物館に現在所蔵されているけれど、これはレディングで製作されたものではなくて、1885年にスタッフォード州の刺繍グループ、Leek Embroidery Society(リーク刺繍協会)の女性たちによって制作されたもの。
このグループのリーダー、Elizabeth Wardle(エリザベス・ワードル)が本家のバイユー・タペストリーを見学した時に、「イギリスにも、この復刻版があるべきだ」と思い立ち、グループの35人の女性の協力のもと、1年かけて1886年に完成された。
サウスケンジントン博物館(現V&A)から提供された、水彩着彩の白黒写真を元にして図案が複写され、エリザベスの夫でシルク染工場を経営するThomas(トマス)が、できる限りオリジナルに忠実な毛糸・染色方法で刺繍糸を製作・提供した。
完成後は、イギリス各地で、またドイツやアメリカでも巡回展覧される。
1895年にレディングで展覧されていた時に、リーク刺繍協会はこの作品の売却に応じることを決定し、レディングの前市長だったA A Hill氏が£300で買い取って、レディング市に寄贈した。
その後も、世界各地に貸し出し巡回展覧された後、1993年にレディング博物館に、現在の専用ディスプレイ室が完成して、以降ここで常設展示されている。

前回も書いたけれど、本家の方は撮影禁止なので、まったく写真がなくて、かなり不満だったけれど、ここではフラッシュなしの撮影可。 なので、またまた、いろいろ撮ってしまったのだった。
ちなみに、本家の方は全編を<このページ>で見ることができる。(クリックで拡大。)


Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
これがタペストリーの始まりのシーン。
エドワード証聖王(懺悔王とも訳されている)が、ノルマンディー公ウイリアム(のちの征服王)を、
イングランド王位後継者に指名する旨伝えるべく、
義兄(嫁さんエディスの兄)ハロルド(ハロルド2世=ハロルド・ゴドウィンソン)をノルマンディーに派遣する。
ところで、元々のこのタペストリーは、1066年ノルマンディー公ウイリアムのイングランド征服後、ウイリアム征服王の異母弟Odo of Bayeux(バイユー司教オド:フランス語読みだとOdon=オドン)が制作させた、ということに現在なっている。
(元々は、「王妃マティルダのタペストリー」と呼ばれ、征服王の妻マティルダが制作させたと考えられていた。)
いずれにせよ、ウィリアム征服王・ノルマン側が、アングロサクソン系の王ハロルドを打ち負かしたのは、先代のエドワード証聖王が、ウィリアムを正当な後継者として指名していたからで*、ハロルドはそれを「不当に」横取りしたからだ・・・という、とても一方的なノルマン側の言い分に基づいて、ここでのストーリーは展開される。
史実は・・・たいがいそんなことはない。正当も不当もなくて、単に権力争いで、うまくやったもん勝ち・・・の、時代であった(あ、いつの時代でもそうか・・・笑)。

*ウィリアム征服王の祖父ノルマンディー公リチャード2世が、エドワード証聖王の母エマと兄弟・・・つまり、大叔父さんにあたって、エドワード証聖王のノルマンディー亡命期に親しかった、という根拠だそう。(オタッキーな覚書)

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
で、船出するのだけれど、強風にあおられて、
Count Guy of Ponthieu(ポンティユー伯ガイ)の領土に難破してしまう。
そして、まんまと身代金目当てにガイに捕まってしまう。


話は刺繍糸の話になって、この写真の船の部分で、
刺繍糸が褪色しているのがよくわかる。
船の縁の模様部分と、船の櫂の部分は、
本家ではダークグリーン。
ここでも多分もともと同じような色が使われていたのだろうが、
船の後ろの方が激しく褪色してしまっている。
19世紀コピーの方は、全体的に、色の褪色が目立つため、
本家よりコントラストの弱いものになっている。
11世紀の糸の方が、19世紀の糸より色持ちがいいって不思議ー。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
その知らせを受けたウィリアムが、
ハロルドを救出するべく、使者を送る。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
ウィリアムの尽力(と、多分身代金支払い)で、
自由の身になったハロルドがガイにひき連れられて、
ハロルドに身柄を渡される。

真ん中のハロルド、捕虜なんだけれど、当時の貴族の捕虜は一応客人扱いなので、鷹を手に優雅なもの。
で、ハロルドはアングロサクソン人なので、初期ビートルズ(?)のようなヘアスタイルにヒゲ。
一方、ノルマン系の連中、上に出てきたウィリアムや、ここで前にいるガイ達のヘアスタイルが、どうやら後ろ刈上げというか、剃り上げスタイル。<こんなもの>が、史実に忠実なもののよう。
このタペストリーでもその違いが、描き分けられている。
(ちなみに、ノルマン人の祖先ヴァイキング達は、この頃でもずーっと、ロン毛。)

もう一つ、くだらない話。
タペストリーの枠外に、あまりストーリーとは関係ない・・・ような、動物やら人物やらがいろいろ(たぶん)模様のつもりで描かれているのだけれど、このシーンの下にはなぜだか裸の男女が描かれていて、男が女に求愛ちう(?)な様子。
本家の方では、男の股間にナニな状態の一物がはっきり描かれているのだけれど、そーゆーことに目くじら立てまくりのヴィクトリアン期の復刻版には、もちろんそれは削除されている。次に、もう一つ露骨な例をご紹介しよう(笑)。

Original figure modyfied with a pants in the 19th century reproduction.
あれ?日本ってこういうのまずかったのかな?
(え?19世紀のままなのだっけ?)
ってもう、記憶が定かでないけど、
自主規制で小さく、でも載せる(笑)。

この後、話は、ハロルドとウィリアムの交渉に入って、その時にウィリアムが娘を、ハロルドに嫁がせようという話が出るシーンの下、枠外に意味不明でこのような不埒な輩(左)が登場。復刻版の方では、右のようにパンツ穿かされてる。
これは、刺繍家のご婦人方が自主規制したのかと思いきや・・・、サウスケンジントン博物館(現V&A)からの資料の段階で、修正されていたものだそう。 ローマ時代の彫刻や、ルネサンス絵画にもイチジクの葉っぱを、つけて回っていた時代なことゆえ(笑)。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
本題に戻って、ウィリアムは反乱を起こした、
ブリタニー公コナン討伐軍に、ハロルドの参戦を依頼する。
クエスノン川を渡るシーンの向こうに見える、
亀の甲羅状のものは、モン・サン・ミシェル。

その後、ブリタニー公領の町Dol,、Rennes、Dinanを次々陥落させて、
コナンを降伏させる。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
その後、バイユーに一行は向かい、
聖堂内の聖遺物にかけて、ハロルドはウィリアムに、
臣下としての忠誠を誓う・・・のシーンなんだけれど、
大聖堂のシュールな構造に目を奪われて、
肝心の忠誠を誓うハロルドを、右に見切ってしまっていた。
写真の右に座っているのがウィリアム、で、
右端が聖遺物箱。そのまた右画面外にハロルドがいる。

これがまだ、話の伏線になる前半で・・・なかなか、話が進まないな・・・。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
その後ハロルドは無事、イングランドへ帰国し、
エドワード証聖王に使命の遂行を報告する。

が、程なくして、エドワード証聖王が死去する。
写真を撮り忘れてたけど、(本家のこのシーンは<このページ>に)
ここで、すかさずハロルドが、貴族の支持を取り付けて、
イギリス国王に即位してしまう。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
そのニュースは、スパイによって、あっという間にウィリアムの耳に届き、
イングランド侵略を決意したウィリアムは、
侵略用の船の建造を依頼する。
ウィリアムの右隣に座っているのは、
ここでは名前が出てこないけれど、トンスラ(剃髪)頭から、
ウィリアムの異母弟のオド。
彼が船の発注を取り仕切っていた。

この次に船の建造シーンがあって、

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
船が完成して、武具・兵器を積み込んでいるシーン。
チェーン・メイルは重いので、二人がかりで運んでいた様子。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
馬も積み込んで、海峡を渡る。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
船団は、Pevensey Bay(ペヴェンシー湾)に上陸。
上陸したのは6000-7000人の軍団とされている。
東のHastings(へースティングス)に向かいキャンプをはる。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
で、まずは腹ごしらえの宴会。
バーベキューというか、焼き鳥というか・・・。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
なにかというと、真ん中によく出てくるオド司教。
自分が発注したものだったら、当然といえば当然か。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
そして、作戦会議ちう。
ここでもウィリアムの左で、アドヴァイスしているのはオド。
右側はウィリアムの異母弟で、オドの実兄弟のロバート。
このオド、聖職者だけれども、当時の貴族なので戦闘参加。
後半ではチェーンメイル着用で、
メイス(こん棒?)振りかざして戦うシーンあり(写真は撮り逃し・・・)。
「恐喝・強盗で財を成した」と記録に残るほどの強者だそう(笑)。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
ハロルドの動きが報告される。

このころ時を同じくして、ハロルドの弟トスティが、
ノルウェー王ハーラル3世を引き込んで、反乱を起こし、北のヨークを制圧。
ハロルドは、これをBattle of Stamford Bridge
(スタンフォード・ブリッジの戦い)で撃破していたところ。
で、ウィリアムの上陸を聞いて、400km弱を7000の全軍をひき連れて、
南下し、バトルの丘の上(有利なポイント)に陣をはろうとしていた・・・ということ。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
ウィリアム側としては、ハロルドが態勢を整えないうちに、
開戦に持ち込みたかったので、1066年10月14日朝に進軍開始。

ちなみに、10月14日頃の週末は、バトルでリ・エンアクトメント(歴史再現)の、
コスチューム模擬戦闘イベントが行われているのだった。
今年は950年記念だったので、一段と大規模だったとか。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
ノルマン側の進撃。
ところで、ノルマン側は弓兵で一斉射撃しておいて、
このシーンのように槍を持つ騎兵が、
突撃・退却を繰り返す戦闘方式。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
対するアングロサクソン側は、
盾をみっちり組んで防御し進軍、
(これはローマ兵の戦闘方式と似ている)
長斧を振り回す切込み歩兵で、前線を切り開く戦闘方式。

通常、逆しずく型の長盾はノルマン盾で、
アングロサクソン側は、丸盾が定説なのだけれど、
実際にはアングロサクソン側でも、長盾が使われていたのだそう。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
戦闘は膠着状態で、午後に至るが、
ウィリアムは、アングロサクソン側の陣形を崩すことに成功。
ここで、ハロルドが目を矢で射抜かれて戦死。
一気にノルマン側の勝利が確定する。

あ、この左から2つ目の盾がアングロサクソンの丸盾。
ここで、目を射抜かれているのがハロルド・・・・ということになっているけれど、実はこれにも諸説あるらしい。
そもそも、ハロルドが目を射抜かれて死んだというのは、聖なるもの(聖遺物)にかけた誓(この場合、ウィリアムに臣従の忠節を誓った)を、破ったものに対する天罰を象徴していて、いくつか同様の伝説がみられるのだとか。
この伝説が後年できあがって、本家の方のこのシーンは、その伝説に準じるために、矢の部分が14世紀以降に付け足された、とも考えられている。
で、この人物がハロルド、ということになったのだけれど、本来は馬の前に倒れている(写真では右にはみ出している)人物が、ハロルドという説もある。
というわけで、現在では死因は確定はされていない。
Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
ここで、ウィリアムの王位が確定して、
この後に戴冠のシーンがあったはず・・・なのだけれど、
本家の方でそれは失われていて、この戴冠に向かうシーン(?)
でタペストリーは終わっている。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
復刻版の方は、その後にこの作品の制作についての解説が、
刺繍されている。
その下には、参加者の名前がスタンプされている。

また、全編に本家にはないもう一つ下の枠組みが
(写真でははみ出しているけれど)採られていて、
そこに「ここまではXXXXの制作」というように、
制作者名が刺繍で綴られている。

Reading's Copy of the Bayeux Tapestry
これは、刺繍の技法を解説したもの。
ステム・ステッチでアウトラインを描いてから、
中を色糸で埋めていく刺し方。


この辺のノルマン王家あたりの
イギリス中世史が専門(?)だったのだけど、
ずいぶんいろいろ忘れてしまっていたので、
散々調べものして、記憶を呼び戻した今回の標本箱。

最後のおまけヴィデオは、
その、今年のヘイスティングスの戦い950年記念、
リ・エンアクトメントの様子をYoutubeから。




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