Royal Victoria Patriotic Building (ロイヤル・ヴィクトリア・パトリオティック・ビルディング)
日本語でどう訳していいのか解らないので、タイトルはそのまま英語で、Royal Victoria Patriotic Building (ロイヤル・ヴィクトリア・パトリオティック・ビルディング):無理やり訳すと「王立ヴィクトリア愛国ビル」。
名前の由来は後でふれるとして、この建物、セントラルロンドンとウチを行き来する鉄道のほぼ沿線に建っている。夏の間は木々に覆われて見えないのだけれど、秋に落葉すると、見事なゴシック・リヴァイヴァルの建物が見え始める。
ここに引っ越してきてから15年近く、ずっと興味を持っていた。
この秋、その界隈でカメラを持って、時間が余っていることがあったので、思いついて行ってみることにした。
ちらちら見えているのは、こんな「ゴス系」の建物。
私が「何、何?」と思うのも無理はないでしょう(笑)。
帰ってきてから由来等をサーチしてみてわかったのは、1859年 Rohde Hawkins(ロード・ホーキンス)設計の建造物で、現在は第二級保存建築物(Grade II listed buildings)。
様式的には、ゴシック・リヴァイヴァルでも、Scottish Baronial Style(スコットランド貴族様式)の影響が濃厚、そこに、フランスのシャトー建築の影響も受けている・・・と、いわれている。
建造の目的は、クリミア戦争(1853-56年)で戦死・病死した軍人の女子遺児を保護・教育するための孤児院だった。なので「Patriotic(愛国)」という語が、建造物名にくっついている。
とはいうものの、昔の孤児院にありがちな、かなり陰惨な境遇のバックグラウンドだったそう。
その後、第一次世界大戦時には戦傷者病院として使用され、その後、女子寄宿学校となり、第二次世界大戦中はスパイ容疑者の捜査・尋問部署として使われ、戦後は70年代半ばまでローカル校の校舎として使われていた。
70年代半ばに老朽化で使用不可となった建物は、そのまま荒廃して廃墟化したため、取り壊しが計画されていた。
ヴィクトリア期建造物の保存団体、The Victorian Society(ヴィクトリアン・ソサエティー)と地域団体の、取り壊し反対運動の結果、第二級保存建築物のリスティングを獲得、つまり、取り壊しや・外観変更が出来ない法的保護を得たことになる。
その上で、1980年に土地開発業者に売却され、6年をかけて修復された。
最後の最後まで、紆余曲折のある建物のようで、改修完成後の正式受け渡しの前日に、不明の放火でホールが焼失してしまうが、その2週間前に撮影された写真を元に、オリジナルの(hammer beam ceiling)ハマービーム天井を再復興させたのだそう。
この復旧が評価されて、国内外から修復アワード(賞)を獲得している。
その後現在に至るまで、個人住居とオフィスがミックスで入居。建物としては、一番幸せな時代なのかもしれない。
真正面から。
正面の前に小さな緑地がある、そして、その先には鉄道の線路。
イングランドの象徴として正面に描かれている、聖ジョージ。
またここでも、ドラゴンいぢめに余念がない。
角の塔部分の出窓。
その下の、装飾部分。彫が美しい・・・。
角の塔の屋根部分ディティール。
建物のサイドに回りこんでみる。
裏の中庭部分。
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Googleの俯瞰で見るとこんな感じで・・・、
裏の中庭部分(右側)は、誰でも入れるが、
建物に囲まれた左の中庭は、居住者・関係者のみ。
その真ん中にあるのがホール。
裏・中庭のギャラリー部分。
正面中央塔の裏側の時計。
ホールの塔部分。に、なぜ牛(?)が飛んでいるのかは、不明。
サイド斜め後ろからのヴュー。
この裏中庭から入って、どこかに・・・Le Gothiqueという、バー・レストランがあって、12時~0時毎日オープンしているのだそう・・・というのも、後でわかったこと。気がつかなかったが、中を見てみたかった。
それはまたいつか。
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