Mont Saint Michel-モン・サン・ミシェル-3-
Mont Saint Michel(モン・サン・ミシェル)のイメージの最終回で、Abbey(修道院)のイメージの続き。
前回の回廊から、順路は次に回廊に面した僧侶の食堂ホール(13世紀建造)。
ちょうどその下の階に当たるのが、Salle des Hotes(迎賓の間)と呼ばれる、
ここには大きな暖炉が2つあって、明るく暖かい部屋で、
王侯・貴族階級の巡礼者はここでもてなされたのだそう。
窓からコートヤード側を覗くと、鐘が見える。
修道院付属教会内陣の下に位置するCrypt(クリプト)内の、小部屋になった部分。
メインのクリプトは・・・とにかく暗くて撮影失敗・・・。
Flickrから借りてきた。
Photo by mark.voce @Flickr
15世紀建造の修道院付属教会内陣を、下から支えるべく先行して設計されているので、
この巨大な柱が導入された。
床タイルだけ、かろうじて撮影成功。
12世紀の納骨堂だった部分だが、フランス革命後は牢獄としても使用されていて、
その囚人の食料を引き上げるための、滑車。
中世の巻上げ滑車のリプロとして、設計された。
途中ちらっと垣間見た中庭。
井戸が掘られているが・・・(こんなに海に近いのに)
真水をくみ上げることができたのだろうか?
11世紀建造の建物を南北につなぐ階段。
そこから、「Monk's Promenoir(僧侶の遊歩道)」と呼ばれる一角。
11世紀から13世紀にかけて、何度も改造されている。
ここが、前回の写真のクロイスター(回廊)が13世紀に建造される前に、
クロイスターとして使われていたのではないか・・・と19世紀に推測されて、
「Monk's Promenoir(僧侶の遊歩道)」と呼ばれるようになったのだが、
本来何の部屋として使われたかは、いまだによく解らないのだそう。
前回書いたが、創設者聖オーバートが、2度聖ミシェルの修道院設立の指令を、
悪魔かと思って無視したため・・・、「これでもか!!」と頭に穴をあけられるの図。
果たして・・・頭に穴を開けにやってくるような大天使は、
悪魔とどこが違うんでしょうかね?
その次の大きなホールは「Salle de Chevalier(騎士のホール)」と呼ばれる部屋。
大きな明るい部屋で、巨大な暖炉が部屋を温めていた。
13世紀の建造ながら、天井ヴォールトの先がずいぶん尖ってきていて・・・、
柱頭装飾も複雑なものになってきている。
この部屋の名前は、15世紀にルイ11世の設立した「サン・ミシェル騎士団」が、9月29日の聖マイケル(ミシェル)祭日にモンサンミシェルで集会を催す・・・という、伝説に基づいて後年名付けられたもの。
しかし実際には、辺境のこの島に集合することは難しかったため、一度も実現せず、パリ・シテ島のSaint Michel du Palais(現サント・シャペル敷地内)が集会場となった。
なので、騎士がここで宴会をする・・・というのは誤謬ながら、いかにもそのような想像を掻き立てられるような、明るくて、天井が高くて気持ちのいい部屋。
この北に面した明るい部屋の構造から、写本製作の書写室ではないか、とも考えられていたが、現在に伝わるモンサンミシェル写本の大半は(現在はAvaranchesのスクリプト博物館とで、分散保管展示されている)、ロマネスク期つまり、このホールが建造される以前のもの。なので、仮にここが書写室として使われていたとしても、ここで製作されたモンサンミシェル写本はわずかしかないそうだ。
その書写室説からインスパイアされた、中世写本文字のディスプレイは、なかなかの優れもの。
その隣のAlmonry(Alms house=施貧室)は、
本来、貧しい人々や一般巡礼者をケアするための部屋で、
大食堂、宿屋、病院を兼ねていたもの。
現在は入り口チケット売り場と、出口のショップとして使われている。
その一角に立つ、尖塔上の聖ミシェル像のリプロ。
1897年にEmmanuel Fremietの製作したもので、現在オルセー美術館にも
ファクシミリがが展示されている。<仏文詳細はこのページ>
同じく出口のショップの一角にある壁画の聖ミシェル。
これは古そう・・・13世紀?かも知れないが、詳細はまったく不明のまま。
最後にもう一枚、加工かけまくったモン・サン・ミシェル、でした。
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