Mont Saint Michel-モン・サン・ミシェル-2-
フランス・ノルマンディー、Mont Saint Michel(モン・サン・ミシェル)のイメージから、今回はAbbey(修道院)の中へと入っていく。
島の中をぶらぶらしている分には、当然無料なのだが、
Abbeyの中を見物するのは有料で、2012年現在、大人9ユーロ。
有料だから少しはすいている、はずなのだけれど、
ここを見ないと島に来た意味がないからか、大半の人はここへ向かう。
なので、チケット売り場には長い列ができる。(団体ツアーだと待たずにどんどん入れる。)
このゲートはチケットを買う行列の上にかかっている。
入るとすぐに、建物と建物間の通路状のところを通っていく。
まるで修道院内が小さな町のよう。
途中に見つけた水道のタップ。
ゴシック式の彫刻の口から水が出ていたのだろうけど、
後年タップをつけられてしまったよう。
タップについているのは修道院の紋章、フルール・ド・リの下にホタテ貝。
ちなみに島自体の紋章は水を泳ぐ鮭をイメージした<こんなもの>。
その上にそびえる、15世紀のゴシック建築。
ちょうどChancel(内陣)の部分を見上げている。
階段の上は、広いテラス状になっていて、ここからの眺めは最高。
修道院付属教会のファサードは、1780年に改装されたネオ・クラシカル様式。
ゴシックに比べるとずっとシンプルで、
ギリシャ・ローマを連想させる柱がデザインのポイントに使われている。
この日は暑い・・・とにかく暑い。ひんやりした石造の修道院付属教会に入ると、ほっとする。
手前のNave(身廊)部は、11-12世紀のロマネスク様式。
その奥につながるChancel(内陣)部は15-16世紀の建築で、
上の写真で外側から見ていたところ。
Nave(身廊)のロマネスク様式。
丸いアーチと、アーチの中にまた柱が入る二連アーチがこの様式の典型。
イギリスにもこのタイプの建造物は時々残っている。イギリスではこれを持ち込んだノルマン人(この、ノルマンディーやモンサンミシェル界隈を支配していた、ウィリアム征服王がイギリスに、プランタジュネット王朝を持ち込んだのだった。)にちなんで「ノルマン様式」と呼び習わされることが多い。
小さな岩盤状の島の上に、高層の教会建築を建てるのも困難な話で、12世紀と15世紀百年戦争のときに2度、ロマネスク建築部分で崩壊が起きている。
なので、現在の姿は各時代の建築/様式が折り重なった状態で、昔の姿は歴史的文献にとどめられているだけ。
たとえば、11世紀のBayeux Tapestry(バイユーのタペストリー)には、まだこじんまりとした会堂だけの状態の主教会が描かれていて、15世紀の「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」には、15世紀のロマネスク内陣が崩壊する前の全体像が描かれている。
Photo by Glenister 1936 @Flickr.
バイユーのタペストリーの中の11世紀のモン・サン・ミシェル。
騎士が流砂にはまって、つんのめっている・・・危険。
Photo by tereliyesajjan @Flickr.
「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」の中のモン・サン・ミシェル。
15-16世紀の内陣。
天井についているのは、テラコッタの紋章と、
またここでもドラゴンいぢめしているマイケル氏。
側チャペルの中の、キリストの生涯を描く、15世紀アラバスター・レリーフ。
これはもっと新しい作品で、Henri Besnard、1927年作のブロンズ・クロス。
13世紀の聖母子。
修道院の創設者、聖オーバート(8世紀)のロマネスク様式(11-12世紀)の像。
夢枕に立った聖マイケルに修道院を建造するよう指令を与えられながら、
2度も信じずに無視していたため、3度目についに頭に穴を開けられた・・・
とかいう、物騒な話(笑)。
いろいろ書いていたら、どんどん長くなっていくので、
ちょっとマキをいれて・・・、これが13世紀のCloister(回廊)。
柱が整然と並んでいる回廊は、どこでも本当に美しい。
ええ、ここでも観光客の皆さん、何人もPhotoshop抹消してますよ(笑)。
内側から見たところ。
柱は二重に重なっているので、微妙な立体感がかもし出されている。
別の角度から。次に順路が続いていく、僧侶の食堂ホールの建物を見たところ。
空に尾を引いているのが、流れ星だったら神秘的なのだけれど・・・残念ながら、飛行機(笑)。
なかなか・・・まだまだ終わらないモン・サン・ミシェル、次回が最終回。
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