ロンドンの街-WaterlooからFleet Street
今回から、また街の写真を詰め込んでいこうかと考えているのだけれど、その前に少し前置き。
先日、私の写真の方の「師匠」こと、Adrian McCourt氏がRomeからLondonに滞在していて、2度ばかり会ってはいろいろ情報交換していた。
それで思い出した、師匠のWebsite「このページ」以外に、近頃師匠はTumblrで写真ブログも始めたのだった。
Websiteではカテゴリー別に写真がディスプレィされているのだが、ブログの方では、時間軸に沿って、その時々の一番「お気に入り」の写真がUploadされていくそう。
写真でありながら、19世紀絵画の風格をたたえた彼の作品を、ぜひTumblrで「鑑賞」してみてください^^。
(各写真をクリックしてフルサイズに拡大・・・なのだけど、シャープになるまで2-3秒かかる。)
ここからは自分の写真話で・・・、あ、師匠の後にもってくるんじゃなかったな・・・と、後悔(笑)。まあ、弟子には弟子にしか表現できない「何か」があるということで・・・。
近頃、ジュエリーの方の仕事があいてきたので、まだ寒くて若干暗いのだけれど、街に出て行っては写真を撮っている。
例年春にホリデーに出るはずが、今年は春に撮影の仕事が入ってきたので、そのことに気をとられているうちに、ホリデーを企画しそこなってしまった。
逆に考えてみると、世界屈指の観光名所Londonの郊外に住んでいるのだから、これはもう日常がホリデー・・・とも言える。
何もわざわざ「海外ホリデー」をプランしなくても、Londonの街をあらためて、新鮮な目で再発見してみよう、というのが「今年のホリデー」ということにした。
思い立ったら、即、実行。スケジュールが許す限り、週に一度はセントラルにカメラを提げて出かけている。
今回はその中から、まず、うちのターミナル駅Waterlooから、橋を渡ってStrandやFleet Streetのあたりのイメージ。
これはウォータールー駅を鉄道の高架下から見たところ。
この高架をくぐって、ウォータール橋の方角へ向かう。
ウォータールー橋にかかる手前に見える、旧ウォータール・ホスピタル。ファサードが美しい。
婦人・小児科専門病院として、19世紀に建造されたもの。
現在は、アメリカ系の大学の学生寮として使用されているそうだ。
橋のたもとから、London County Hall、London Eyeを望遠で。
後ろにパーラメントも覗いている。
この煙ったような、弱い低い日差しはロンドンの冬特有のもの。
ウォータールー橋の上から、Hungerford Bridge(ハンガーフォード橋)をのぞむ。
その先には、パーラメントとビッグベン。
別名ロンドン・ツリーとまで呼ばれる、Plane tree(プラタナス)はロンドンで一番よく目にする木。
夏の間は大きな葉が生い茂っているけれど、冬は落葉する。
そのかわりに、ポンポン状の実がいくつもぶら下がる。
まるでクリスマスツリーのバウブル飾りのように。
橋を渡った北岸にはSomerset House(サマーセット・ハウス)のネオ・クラシカル建築。
この中にはコートルード美術館が入っている他、
最近ではLondon Fashion Weekの会場が、コートヤードに設営されていた。
サマーセット・ハウス側から、Strandの大通りを北に渡ると、Aldwych(オールドウィッチ)。
官庁、劇場、大学、ホテル・・・などなどがかたまっていて、いつも忙しいエリア。
The Waldorf Hilton hotel (ウォードフ・ヒルトン・ホテル)のファサード。
20世紀初頭にオープンした、アメリカ系のホテル。
その向かいのBush House(ブッシュ・ハウス)の彫像。少しアールデコっぽいスタイル。
Melbourne Place(メルボーン・プレイス)の建築の屋根に乗っかった彫像。
あまり誰も気づかないのだけれど、これがなかなか美しい彫像なのだった。
Strandに面して建つ、Royal Court of Justice(王立裁判所)は、私がロンドンで好きな建築の一つ^^。
ゴシックリヴァイヴァル様式の建築は、建築家George Edmund Street(G.E.ストリート)の設計。
ストリートは、ウィリアム・モリスが最初、彼の建築事務所で働いた、ということの方で知られているかもしれない。
そのちょうど向かいにある教会、St Mary Le Strand(ストランドのメアリー教会)。
18世紀James Gibbs設計の教会が不思議なのは、ストランドの大通りのど真ん中に建っていること。
つまり、中央分離帯のように、この教会で道のレーンが隔てられている。
20世紀に入って、ストランドの通りを拡張する計画が出たときに、取り壊されかけたのだが、
当時のイラストレーターWalter Crane(ウォルター・クレーン)を中心とした、
取り壊し反対キャンペーンが成功して、その後も道のど真ん中に鎮座することとなった。
第二次世界大戦のロンドン爆撃で周辺地区に被害が及んだときも、被害を免れて、現在に至る。
Follow up 13/03/12: う~ん、完璧に間違っていた!!
この写真は正しくは「St Clement Danes(聖クレメント・デーンズ)」で、これもいわば道の真ん中・・・。
解説文はSt Mary Le Strandのことで、このSt Mary Le Strand教会は、
St Clement DanesからStrand通りを100m東に下がった所・・・なのでした。
「知の宝庫」こと、Flickrでロンドンの歴史に詳しい写真家の人が教えてくれた。
実際のSt Mary Le Strand教会の方も美しい教会なので、次回ぜひ写真を撮りに行こうと思っている。
一方、ここの写真の、St Clement Danesは、1682年のクリストファー・レンの建築で、
St Maryより100年ほど古い建築でした。
中はこんな感じ。
この教会の東側に立つ街灯が、とりわけ美しい。
この街灯をはさんで、南側に建つパブ・ジョージ。
18世紀のコーヒーハウスに端を発するパブなのだけれど、この古めかしいチューダー風の外観は、
実は、19世紀末に再建されたもの。その時の事業主は、凝った改築にはまりすぎて、破産してしまったとか・・・。
このストランドの南側の地区はTemple(テンプル)と呼ばれ、ここもとても古い町並みの地区。
以前標本箱に詰め込んだことがある「このページ」
Strandから引き続いてFleet Streetになったあたりで、
これまた、道路の中央分離帯の如く、道の真ん中におっ立っている、ドラゴンの像。
Griffin by Charles Bell Birch 1880年
(タイトルではグリフィンと呼ばれているけれど、実際にはドラゴン。)
正確にはTemple Bar(テンプル・バー)と呼ばれて、シティとウェストミンスターを隔てる境界を示している。
シティおよびロンドン・メイヤー(市長)はイギリスの王権から独立した権利を持っているので、国王・女王がシティに入るときには、メイヤーから「許可」と「忠誠」の印として、儀礼用の剣が手渡される・・・・というのは有名な話。
なのだけれど、実際には「儀式」として形が残っているだけで、現在では女王陛下は特に「許可」をもらわなくても、勝手にシティに入ってもかまわない・・・ということらしい。(Wikiによれば・・・)
中世以来シティの入り口に当たる7つのGateには、実際に「門」が設営されていた。
このTemple Barにもゲートがあったのだが、17世紀のロンドン大火で焼け落ちたため、クリストファー・レン設計の石造のゲートが1672年に設営された。このゲートは19世紀後半に、このFleet StreetからStrandにかけての交通渋滞(馬車の・・・)を緩和するための道路改修のため、取り除かれてしまった。
しかし廃棄されたのではなくて、1880年に醸造事業家に買い取られて、彼の北ロンドン郊外の邸宅への門として使われていた。
20世紀後半に、荒廃した状態で捨て置かれていたこのゲートは、テンプルバー・トラストに買い戻されて、修復され、2004年にSt Paul大聖堂前広場の北側に設置された。
私は、まだ見に行ってないのだが、Flickrからイメージを借りてきた。
Photo by Antony J Shepherd @Flickr
ネオクラシカル・スタイルのなかなか美しいゲート。
このFleet Streetのあたりは、19世紀の建造物が軒並み残っている。
Chancery Laneとの角に建つ、貴金属店の建物の、ファサード彫刻もお見事・・・・。
次回はまたこの界隈から、古い町並みを求めて、散策が続く予定。
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