ハンプトン・コート・パレス(Hampton Court Palace)
昨日はParisだと思ったら・・・また、ハンプトンコート・パレスに話は戻ってきたしまった。
忘れてしまわないうちに、済ましてしまおう。 今日は私的観光ガイド。
そもそもどういう宮殿なのか、という背景は上記リンクに任せてしまう。一言で言うと・・・イギリスのルネッサンス、チューダー朝時代にに建造され、その後、バロック期に増築されたイギリス王家の宮殿。
私の専門分野、中世からはかなり下った時代の宮殿なのだが、何しろ近くに住んでいる。電車で2駅、歩いても30分程度の距離なので、何かにつけてよく訪れる。先日標本箱に詰め込んだ、フラワー・ショウ、チューダー・コスチューム・イヴェント、どちらもここが舞台。
観光ガイドと言ったからには、まず案内事項をまとめてみよう。
交通アクセス: 旧国鉄・サウス・ウェスト・トレインズのLondonターミナル、Waterloo(ウォータールー)駅から、たいてい1番ホームから出る各駅停車Hampton Court(ハンプトン・コート)行きに乗る。電車は30分各に一本で、終点のHampton Courtまで25分の乗車。ここはロンドン・ゾーン6内なので一日パス(7.5ポンド 2010年7月現在)で行ける。最寄の駅から「ワンデイ・トラベルカード・オールゾーン」と言って買う。(知ってるって?)
ハンプトン・コート駅を出たらもう目の前は橋。駅からでもパレスは川向こうに見えているので、解りやすい。
ハンプトンコートパレス:
年中無休、イギリス・サマータイム時期 10:00-18:00、イギリス・ウインタータイム時期10:00-16:30
入場料 大人14ポンド、子供7ポンド、学生・60歳以上11.5ポンド(2010年7月現在。詳しくはこちら)
正面は赤レンガのチューダー建築。デコラティヴな煙突が特徴的。2段目左はエントランス部の天井。中央のバラ模様はチューダーローズと呼ばれ、色つきの場合、外赤、中白の花びらに着彩される。バラ戦争で敵対していた、白バラを紋章とするヨーク家、赤バラを紋章とするランカスター家が、ヘンリー7世とエリザベスとの婚姻で合体したチューダー朝を象徴するもの。チューダーに関連した装飾に必ずと言っていいほど現れる。
その隣はグレート・ホールの天井部分。その下は、クロック・コートにかかる、当時の最先端テクノロジーの時計。
パレスの屋根と煙突を北側から写す。まるで一つの街の様。
パレス内の窓からコート・ヤードを覗く。
ヘンリー8世の居室(Henry VIII's Apartments)内のGreat Chamberのタペストリー。
同じく、Great Chamberのコラージュ。
右上のクッションの模様がチューダーローズ(これ自体は現代のイメージ・ディスプレイ。古いものではない)
左下の天使のレリーフはチャペルの入り口のもの。
このステンドグラスは、ここがもともとヘンリー8世の側近の、ウルジー枢機卿の建造であったことを示している。
あまりに豪奢に建てすぎたため、ヘンリー8世に目を付けられ「没収」されたようなもの・・・。
見どころの多いパレスだが、私の一番のお気に入りは、ここ、チューダー・キッチン。下の写真は、先日のコスチューム・イベントの日に撮ったもの。イベントでヘンリー8世と王妃に供する食事を実際にここで作っている。
<後日訂正:パレスで確認すると、チューダー・シェフ達の実演は、ホリデー・シーズンの週末のみ。「いつでも」ではなかった・・・。>
左上が当時のレシピを書き写したもの。例の「揚げ餃子」ならぬ、「揚げラビオリ」のレシピ。
小麦粉に加えているのは、最初卵黄かと思ったが、尋ねてみたら、サフランを水で溶いたもの。
ラビオリの「皮」に黄色をつけるため。
小さな小皿には「具」が刻んで入っている。ナッツ、スパイス、ドライフルーツ類。
中段左では、マジパンで船を製作中。このあと、色粉で着彩したり、金箔で飾ったりもする。
下段右では、巨大な暖炉で肉を焼く。ここは季節を問わず、普段でもいつも火が入っている。
<暖炉の火は「いつでも」で正解>
キッチンの周りには、食器室、食材室、キッチン・マネージャーの部屋等、
中には入れないが、ディスプレイを窓から覗ける部屋が続く。
これもなかなか面白い。写真撮りにも格好の題材。
まるで、昔のその場に居合わせたかのような写真を撮るのが好きだ・・・。
ハンプトンコート・パレスは幽霊でも有名。とにかく、いろいろいるらしい。
一方、こちらはバロック様式の新宮殿。
最後にヘンリー8世と3番目の王妃ジェーン・シーモアとエドワード6世王子の家族の肖像。
「暴れん坊王様」ヘンリー8世の、これが実は夢だったのかもしれない。現実にはかなわなかった夢。
ヘンリー8世が唯一愛したといわれるジェーン・シーモアは、エドワード王子出産14日後に産褥熱で他界する。
しかし、彼女の死後8年たってから描かれたこの肖像画でも、王にとっての「家族」とはエドワードと、そしてジェーン・シーモアのことだったのだろう・・・。
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